第74回 株式会社 セキコーポレーション

株式会社 セキコーポレーション 代表取締役社長 関 重和 氏 代表取締役社長 関 重和 氏

株式会社 セキコーポレーション

所在地

東京都八王子市明神町2-9-22

TEL

042-644-3991

FAX

042-644-3999

担当者

技術部 技術課 笠原恭佳

事業内容

AV情報機器用部品の金型設計製作及び組み立て製造。組み立て省力化機器・測定機器の開発・製造。

世界工場の中での日本製造業の役割

電機部品の製造は東南アジアへの移転が進み、もはや日本では作れないという意識がすっかり定着している。地球規模で考えると生産技術部が日本で、製造部が東南アジアとすれば、日本の役割は見えてくる。

日本製造業の誇り

今を遡ること30年前の1979年、一つの画期的な製品が世に出ている。ウォークマンである。

録音機能を省き、カセットテープの音楽を再生することだけを目的とした携帯型プレーヤーは、当初の予想を覆し、その名を聞けば誰もがそれをイメージできるほど世界的に大ヒットしパーソナルな音楽文化を創造した。

ウォークマンを出したソニーは偉大なメーカーであり、その偉業に異を唱えるつもりはないが、その部品を供給し続け、発展を支えてきたのは我らが中小製造業であることも誇りに思いたい。

今回ご紹介する株式会社セキコーポレーションも、初代モデルからウォークマンのメカデッキ生産を請け負ってきた日本の誇るプレス部品メーカーである。

ウォークマンの開発者によれば、音楽を持ち歩くための製品の小型化には画期的な技術が必要だったわけではなく、既存技術の改良が必要だったそうだ。

なぁんだと思われるかもしれない。しかしウォークマンは民生用である。多くの人が手軽に音楽を楽しめるためには、小さくて軽くて安いほうがいいのは当然なことだが、それらの条件を満たしつつ「(安定して)量産できること」はより大事な前提条件である。

ぎりぎりまで贅肉をそぎ落とし、極めて精密に作りこんだデリケートな機構部品を大量生産し、トラブルを起こさないように品質を維持する量産技術。それこそ日本の製造業の至宝だが、セキコーポレーションはそんな技術を有するメーカーなのである。

技術を育て要求に応える

同社は1948年に現社長の父上が東京港区に創業し、当初は電電公社時代のダイヤル式電話機の部品加工を行っていた。二次下請けではあったが、電電公社の仕事は、当時国の管理下にあったこともあり品質要求は過剰なまでに厳しく、高精度な加工や品質技術を求められていた。

現社長の関社長は大学を出て電話機メーカーで生産技術職に就いていたが、自社に戻ってからは顧客要求に応えられる高精度のプレス品を実現するために、まだ普及していなかった順送プレスを得意先から学ぶことに必死だった。この経験が後に同社の道を決定づける。

そして各家庭に電話機が入り、需要が頭打ちになるころ、その技術力を聞きつけてやってきたソニーからメカ部品の依頼を受けることになった。関社長は語る。「でも大変だったんですよ。なにしろ作っているそばからどんどん設計変更されるんです。電話機は一度決まればぜんぜん変わらないのに比べると、ついていくのが本当に大変でした」

しかし、関社長は粘り強くジェントルに対応した。これはセキコーポレーションの姿勢でもある。真摯に得意先の要求に応えること。やがて、それが認められてウォークマンの部品を任されることになった。

また、小型化に対する同社の実績には「多部品型内同時組み立て金型」というものがある。複数の部品を一つの金型でプレス加工しながら、同時にカシメ組み立てを行うというものである。このような困難な加工方法も粘り強く試作研究を重ねることで実現にこぎ着けた。そういった実績が認められ、中小企業庁の元気なモノ作り中小企業300社にも選ばれている。

技術力というのは、機械精度だけで語るものではないことがよくわかる。

その後、ウォークマンはカセットテープからCDやMDへと変遷し、またビデオコーダーの世界もベータから8mm、DVに移り変わったが、それらの機器の機構部品には変わらず同社の部品が採用され続けているのだ。

さらにはソニーの空前の大ヒット商品となったプレイステーションにも同社の部品が採用されている。初代だけでも1億台出荷されたゲーム機の部品を任されることからも得意先からの信頼の厚さがうかがえると思う。

さらに自社技術を磨いて

この間、1988年にシンガポールに進出したのを皮切りに、1994年にマレーシア、2003年に上海と中小企業としては比較的早い時期に海外生産拠点を設立しているが、興味深いことにいずれも得意先に背中を押されて進出したのではないという。

当時のシンガポールには「仕事のあてがなく、途中でやめようと思った」ほどだったが、将来のために必要だと進出を決めた。予想したとおり業績にはそれほど寄与しなかったというが、次のマレーシアに展開するときにはたいへんスムーズに立ち上げることができ、その経験が多いに役に立った。

そのマレーシアには、日本で採用した中国人幹部候補生を送り込み、修行させた。彼は、その後上海に赴任すると大きく開花し、今では上海の総経理として活躍している。従業員の能力を見極め、日本人にこだわらず優秀な人材をどんどん登用するのも同社の特徴だ。

関社長の話を聞いていると、まったく力みがない。同じようにセキコーポレーションも、大きな事件や改革があった様子もなく、順調に発展してきている印象を受けたのはなぜだろう。これまで幾多の苦難を乗り越えてきているはずなのに、である。これは関社長の知性と真面目さに拠るところが大きいのではないだろうか。

古来、日本人は知性と真面目さでこの豊かで美しい国を築いてきたように、技術志向で会社を発展させている関社長の姿はまぎれもなく日本人の代表だろう。このような経営者がいるから、日本の製造業は強いのである。

そんな関社長にも心配はある。上海工場では高精度な金型でも現地調達が可能になってきているのだ。得意先に安価に供給するためにはこの流れは止められないという。もちろん日本の金型技術にとっては良いことではない。

これに対する関社長の解答はこうだ。同社はここ数年微小微細加工に取り組んでいる。指先でつまめないほどの小さなプレス品を作るのに、通常のプレス機では大きすぎる。部品のサイズに合わせた小型のプレス機を用意して、さらに得意の型内組み立て機構を盛り込み、今までにないコンパクトで省エネルギーの加工方法を世に問うことだ。

関社長の眼はどこまでも澄んでいて、人より少し先の未来が見えているようだった。

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