「金型がオレと話したがっているんですか?」
小川は、渡辺のおとぎ話のような教えに驚いていた。
「あ~、その通りだ。これが、オレがお前に教えてやれる最後のことだ。小川、金型の声を聞いてやれよ」
小川は想像もしたことのないアドバイスをもらって困惑していた。
〝金型の声を聞け〟だって?〝金型と話をしろ〟だって? いったいどうすりゃ金型の声が聞けるんだ? どうやったら話をすることができっていうんだ?
小川は渡辺の言葉が信じられなかった。それどころかだんだんと、渡辺の技術を吸収してきている自分に対して嫉妬心から嘘をついているのだろうと疑うようにまでなっていた。
いつしかすっかり工場内も静かになり、小川のいるところ以外は照明も落ちていた。
小川はもう金型のことも、仕事のことも、どうでもよくなってきていた。べつに金型をつくるだけが仕事じゃない。自動車会社なんてほかにもあるし、もっと言えば工場じゃないところで仕事したいなあと思ったりした。どうしたら今直面している問題を解決できるかではなく、どうしたら今のつらい境遇から逃げ出せるのか、そればかりを考えていたのだ。
そのときだ、小川はどこからか自分に呼びかける小さな声を聞いた。
「意気地なし」
「だっ、誰?」
小川はびっくりして辺りを見回したが、誰もいそうになかった。
「俺だよ、お前の目の前にいるお前のつくった金型だよ」
今度はさっきよりもはっきりと聞きとれる声がした。
「オレのつくった金型だって!?」
小川は、恐る恐る自分のつくった金型を見た。
「やっと、俺の声が届いたか。まったく世話の焼ける奴だな。どうやら二人きりにならないと俺の声はお前に届かないらしい。そうと知ってりゃ、ずっと話しかけずに周りの人たちが帰るのを寝ながら待ってりゃよかったよ。ま、俺もお前と同じ新米だからしょうがねえか」
小川はまだ信じられない気持ちでいっぱいだった。それもそうだ、まさか金型がしゃべるなんて誰も思ってもみない出来事だろうし……。
「お前、金型のくせに人間の言葉がわかるのか?」
小川は驚きと恐怖を押し込めてやっといちばん疑問に思っていることを口にした。
EMIDAS magazine Vol.12 2006 掲載
※ この作品はフィクションであり、登場する人物、機関、団体等は、実在のものとは関係ありません