ミヤさん――宮下から渡された作業服に着替えると、拳磨はまず作業場の掃除を言いつけられた。
「切り子には絶対触るなよ。指を切っちまうからな」
宮下が言うのは、床に散乱している切り屑のことだ。旋盤で鉄材を削った際に出る切り子は、刃物のように鋭利だ。かつ、高速回転するところに刃物を押し当て削り取られたため、熱を帯びている。拳磨は、切り子を注意深くほうきと塵取りではきとっていった。飛散して来る切り子が髪に絡まないように、作業服と同じネズミ色の帽子を被っている。
鉄を削り取る音が響き渡っていた。それは、歯科大の実習室で耳に馴染んだタービンの甲高い音とはまた違った激しさを持っていた。
「おーい!」
その轟音の中から、自分を呼ぶ声が聞こえた。見ると、室田が手招きしている。
「掃除人、こっちもきれいにしてくれや」
室田は旋盤で、細長い筒状の物を、いくつかに切り分けているようだった。
室田に鼻先で示され、拳磨は旋盤の向こう側に回った。すると、機械の先に二メートルほど突き出ていた竿のような鉄材が、室田が旋盤を動かしたことで回転しながら振れ始める。顔を叩かれそうになった拳磨は、間一髪で逃れた。
「バカ野郎!!」
宮下の罵声が飛んできた。
「突っ切りやってる長尺物の先に立つなんてどういうつもりだ!!」
拳磨が目をやると、室田がにやにやしながら眺めていた。
さっき室田と一緒に昼から戻ってきたのは、毛利といって三年ここで働いているらしい。仕事も手慣れた様子だ。室田は高校卒業後、地元でいくつかの職を転々とし、いいかげん落ち着けと親戚の紹介で半年前から鬼頭精機で働きだしたようだ。
宮下も、毛利も、室田も機械の前に立っていたが、鬼頭だけは相変わらず奥にある事務机に向かってなにか書き物をしていた。時々、電話がかかってきて、鬼頭が対応していた。ファクスで図面のようなものが送られてきて、それを眺めていたりもした。
来客も何人かあった。客が持ってきた筒状のものを鬼頭が眺め、
「これできるかあ?」
と宮下に見せた。
宮下が機械の前を離れずに、それを一瞥して頷くと、鬼頭が客のほうを向いて仕事を引き受けたようだった。
こうして見ると鬼頭精機は小さなボロ工場だが、それなりに注文が入ってきているらしい。
「剣、これやってみろ」
宮下に図面を渡された。そこには、コマかキノコのような形状が描かれていた。コマの円形の銅の部分、キノコでいえば傘の部分の直径が二〇〇ミリ、厚さが五〇ミリ。そこから直径一〇〇ミリ、長さ五〇ミリの軸が伸びている。
「その通りに削るんだ」
「はい!」
腕が鳴った。これまでさんざ小さな歯列模型を削ってきている。あの繊細な形成に比べれば、こんな大物の削りなど屁でもない。
材料となる丸棒(まるぼう)は直径二〇〇ミリ、長さが一〇〇ミリ。つまりは、丸棒の真ん中半分を直径五〇ミリの軸に仕立てればいいわけだ。
楽勝じゃねえか。拳磨は旋盤に向かった。
「これは六尺旋盤だ」
隣で宮下が言った。
加工現場では、旋盤の大きさを示すのに「尺」がいまだに使われている。尺貫法による旧来の長さの単位で、一尺が約三〇三・〇三ミリ。そして旋盤の長さとは、「ベッド」の長さを示す。ベッドとは、往復台と心押(しんおし)台(だい)を平行に自由に動かせるレール部分だ。往復台の上には刃物台が載っており、これを操作することで削りの作業を行う。心押台はドリルなどを取り付けて工作物に穴をあけることができる。拳磨の前にある旋盤は、これらの作業を行う台を動かすレール部分が一メートル八〇センチ強の機械ということになる。
拳磨は、ベッドの先にあるチャックと呼ばれる器具に丸棒を保持させた。丸棒は四〇キロほどある。宮下に手伝ってもらって固定した。
旋盤加工は、陶磁器を成形するろくろ作業に似ている。だが、加工所で一般的に用いられる「普通旋盤」は、ろくろ台の円テーブルに当たる主軸が地面と平行している。チャックは主軸の中心にあり、ろくろ作業に対して工作物を横向きに回転させることで削りを行うわけだ。
拳磨は旋盤のスイッチを入れ、主軸を回転させようとした。
「ちょっと待て!」
再び宮下の厳しい声が飛んできた。
「グローブはずせ」
「グローブ?」
「軍手だよ」
拳磨は自分の両手を見た。
「グローブなんかしてて、主軸に巻き込まれてみろ、一生背負っていかにゃあならんケガをすることになるんだぞ。素手のほうが安全だ。それに作業服の袖も捲り上げろ。特に左手のほうはな。巻き込まれたり、チャックの爪に叩かれやすいのが左手だ」
拳磨は言われた通りにした。
「いいか、この仕事は、油断したら十年生も一年生も同じだ。これを見ろ」
宮下が自分の左目の上の傷を示した。
「タバコを吸いながら短い軸(ピン)を突っ切っていてな。まだ若い頃だったが、仕事にも慣れたつもりでいい調子だった。チャックの手前数センチで、ピンは完全に切り落とさずに、止めるつもりだったんだ。ところがタバコの煙が目に入ってな。切断しちまったピンが、回転してるチャックにぶつかって、顔に向けて飛んできた」
そこで宮下が拳磨を見た。
「もうちょっとずれてれば、失明するとこだった」
拳磨は宮下の左目の上の傷跡をひっそりと眺めた。
(つづく)
SPECIAL THANKS
SPECIAL THANKS TO 株式会社ヒューテック・藤原多喜夫社長
参考文献『トコトンやさしい旋盤の本』澤武一著(日刊工業新聞社)