kataya

第三章:突切り

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「おまえかあ」
鬼頭は怒ってはいなかった。にやにやしながら拳磨を眺めていた。その表情は呆れているようでもあった。
拳磨は、鬼頭の口から出た、「おまえかあ」に続く言葉を考えてみた。それは、「じゃあ、仕方がねえな」だった。いよいよ見放されたかも。
「じゃあ、仕方がねえな」
実際に鬼頭がその言葉を吐き出した。
そら、きた。
しかし、鬼頭の口ぶりは決して見限ったようなものではなかった。
「このグラインダーを見れば、おまえがどういう仕事をしてるか分かるってもんだ」
「はあ?」
「グラインダーの砥石をこんなにしちまったのが、もしも毛利だったとしたら、親父さんの会社に当分は帰せねえなって、そう思ってな。“いってえ、鬼頭のところでなにを教わってきたんだって?!”あいつの親父に言われちまう」
だが、トーシローの俺じゃあ、仕方がねえってか。
「剣よ、おめえ、四六時中そんなとんがった目つきばかりしてねえで、やあらかい視線でコイツを見てみな」
鬼頭がグラインダーを顎で示す。
「角が丸まっちまってるだろ」
グラインダーの砥石車の角のことだ。
「おまけに砥石の表面もこんなにでこぼこしちまってる。こんなんでいくら砥いでも、細けぇことはできねえやな」
鬼頭は工具棚から長方体の石を持ってきた。それは面直しの砥石で、現場ではドレッサーと呼んでいる。
鬼頭がグラインダーを回すと、砥石車をドレッサーで研ぎ始めた。
その手さばきの見事さに思わず見とれた。おそらく何百万回とその動作を繰り返してきたであろう鬼頭の手は、流れるようにドレッサーを均一にスライドさせ、砥石車の外周をなめらかに研いでゆく。
グラインダーを止めると、角が切り立った、真っ直ぐな砥石車が現れた。
「ハックショイ!」
鬼頭が大きなくしゃみをした。
「腕の悪いやつが使ったグラインダーを均(なら)すたびに、鼻の穴ん中が砥石の粉だらけになる。まったくかなわん」

「先輩、メシ行きます? それとも風呂先にします?」
次の日、終業時間になると室田のそんな声が聞こえた。
「“アナタ、ご飯にします? それともお風呂?”かわいい女の子から言われたいね。室田君、きみのだみ声じゃなくってさ」
「俺のほうも、そっくりそのまま先輩にお返ししますから。ついでに言うと、メシも定食屋やコンビニ弁当じゃなく、手料理で。風呂も銭湯なんかじゃなくってね」
室田がそうぼやいてから、
「おい剣、行くぞ」
自分にも声をかけてきた。
「先帰ってくれ」
拳磨は応えた。
「なんだ、残業か?」
「いや、ちょっとな」
二人を行かせてしまうと、タイムカードを押した。そうしてから、グラインダーに向かった。これは仕事ではない。
突切りバイトの刃先を研ぎ、旋盤に取り付け、溝入れする。溝の具合を確かめると、底は相変わらず斜めになっていた。
拳磨は、指先でその斜めになった溝の底をたどりながら、昨日鬼頭が言っていた「やあらかい視線」ということについて考えた。
今度は、鬼頭がしていたようにグラインダーの砥石車の面をドレッサーで均した。
砥いでは削り、砥いでは削りと何度も溝入れ加工を繰り返す。溝底が平になるまでやるつもりだ。百回やってダメなら一千回やる。それでダメなら一万回やるだけのことだ。
「意地っ張りだな、おまえも」
振り返ると鬼頭が立っていた。あのにやにや笑いを浮かべていた。
「こんなことに意地を張るやつがまだいたんだな」
ぽつり言うと、向こうに行ってしまった。

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