kataya

第四章:ねじ切り

「ちくしょう」
また刃先を飛ばしてしまった。
ねじ切り刃物をつくらなければならない。旋盤は自分で刃物をつくるもの――それがこの前の突切りで学んだことだった。ねじ切り刃は、突切り刃物の先端角度をさらに六〇度に研ぎ上げ、軸に対して均等に、かつ上すくいもきれいに仕上げなければならない。そうしないと刃先の寿命が極端に短くなり、欠損してしまう。
グラインダーで研いだねじ切りバイトを再び刃物台に設置する。旋盤のスイッチを入れると、主軸が回り始めた。刃物台の横にある目盛板も回り始める。設定している一点の番号でレバーを引き下げ、二〇ミリまできたら左手で刃を上げ、ほぼ同時に右手でねじ送りレバーを解除すれば、ピッチ三ミリのねじ加工ができるはずだ。だが、回転する目盛板は、高速になるほどずれやすい。そうして、いったんずれようものなら、刃先はネジ山の上を削ってしまい当然即死だ。刃物も壊れてしまう。曖昧さを機械が許してくれない。
刃先侵入位置を一定にする回転盤の数字だけではない、回っているねじ山を目でとらえ、二〇ミリの所がきたら反射的に「落とし」のレバーを解除する必要がある。それは分かった。
主軸の回転数と、ねじピッチは同期する。切れ味を上げようとすれば、回転を速くしなければならない。そうして、その高速回転の中で、アクロバチックな両手作業を行わなければならない。手元を狂わせ、刃先をねじ山の上に落としてしまうのではないか、衝突させて刃を壊すかもしれない、そうした怖さに常にとらわれながら、拳磨はこの作業を行っていた。
「ちっ」という舌打ちが聞こえた。目を上げると、宮下が呆れたように首を振っていた。
「ネジの切り上げができて、いっちょ前。半年ばかり旋盤をかじった程度じゃ無理なんだよ、しょせん」
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。俺には無理だっていうのか? 半年程度旋盤やったくらいじゃできねえっていうのか? それなら、なんで社長は、そんな無理なことやらすんだよ?!

「あー、ということでだな、このたび毛利史彦君はだな、我が鬼頭精機での勤務を終えて、懐かしい国元へと戻る。んでもって、毛利製作所の跡取りの道をひた走るっちゅうわけだ。それを祝して乾杯!」
鬼頭が生ビールのジョッキをかざした。それに合わせて宮下も、室田も、拳磨もジョッキを掲げ、
「カンパーイ!」
と口々に声を上げた。
拍手。そのあとで、「なんか一言しゃべれや」と鬼頭に促され、毛利が立ち上がった。
毛利の送別会で、仕事が終わってから近くの寿司屋にきていた。鬼頭が贔屓にしているらしい小ぢんまりした店で、貸し切りというわけではなかったが、たまたまほかに客はいない。それで、せいせいセレモニーを執り行っているというわけだ。
「みなさん、本日は僕のためにこのような会を催していただき誠にありがとうございます」
毛利が律儀な口ぶりで話し始めた。
「削りの会社を継ぐに当たって、まずは現場の仕事を知っとかなきゃいかん、それも根本を学ぶ必要があると父に言われ、鬼頭精機で修行させていただきました。そうして、ここで触れることができたのは“真の削り”だったのです。“石上十年だぞ”とは常にミヤさんに言われ続けていました。三年の修行が充分であるなどとは、もちろん思っていません。僕が学んだのは旋盤の入り口くらいなんじゃないかと思います。技術はまだまだでしょう。でも……」
そこで熱いものが込み上げてきたらしく、言葉に詰まった毛利が寿司屋の古く汚れた天井を見上げた。
「……でも、鬼頭精機で叩き込まれた“削りの魂”は僕の根っこの部分にこれからもずっとあって、なにか決断を迫られる時や、間違った方向に流れそうになった時、その根っこがきっと正しい道へ導いてくれると思うんです」
鬼頭と宮下が、なにか感じ入ったように小さく頷いていた。室田は目の前にある突き出しの海鼠腸(このわた)を眺めている。そんな中、拳磨はまた、あの、人が離れていくという思いを感じていた。
「社長、ミヤさん、これまで本当にお世話になり、ありがとうございました。そして、室田君、剣君、鬼頭精機で働くことは、真の技術を身に付けられるということなんです。これからも精進してください」
毛利は一礼すると、室田と拳磨のいるテーブル席に戻ってきた。そのほうが気が置けないだろうと、鬼頭と宮下は離れてカウンターに並んで座っている。
「んじゃ、今日は好きなもんなんでも食って、酒もじゃんじゃんやってくれ」
鬼頭が振り返って言い、
「ご馳走さまっス!」
三人で声を合わせた。
たちまちジョッキを空けた室田が、カウンターの向こうにいる大将にお代わりを注文する。さらに、
「ウニとイクラ、中トロ、大トロ握ってもらえますか」
そう頼むのを、毛利が白々と眺める。
「きみもまったく品のない寿司の頼み方をするよね」
「好きなもん頼んでなにがいけないんスか?」
室田が、乾杯の間は眺めるだけだった小鉢に箸を伸ばした。
「なんだコレ?」
つまみあげた海鼠腸を改めてしげしげ見つめている。
「ナマコのはらわたの塩辛だよ」
毛利が解説する。
「うへー、なんか気持ち悪いっスね」
「きみたちみたいな田舎もんには、こうしたオツな食べ物は口に合わないかもしれないな」
気味悪がっていたわりには食い意地の張った室田は、箸の物をパクリと口に放り入れた。
「いや、うんめー」
「ほう、室田君にも分かる?」
「うんめーもんは、生まれや育ちに関係なくうんめーの」
「なかなかうがったことを言うじゃないか」
「ところで、先輩のご実家の会社ってどこにあるんですか?」
「福島だよ」
それを聞いて拳磨は、パン屋を始めると福島に旅立った吾朗とサヨを思った。
「へっ、なんだあ。“田舎もん、田舎もん”て俺らのことバカにしといて、先輩は東北なんじゃないですか。こっちは関東ですよ。なあ拳磨」
「まあな」と言って生ビールをちびりと飲んだ。
「あ、そうだ、剣君に言っとくことがあったんだった」
拳磨は毛利に顔を向ける。
「前に焼肉屋で言いかけたことなんだけどさ、覚えてる?」
「焼肉屋って、あん時ですか?」
酔っ払った美咲に出会った店でのことを言っているのかもしれない。
毛利が頷いた。
「あの店で言いかけた時も、今もそう感じることなんだけど、剣君はここにきて仕事を始めた頃と違っちゃってる」
「違ってるって、剣の旋盤の腕は格段に違っちゃってますよ、そりゃあ」
ゲタに載せて運ばれてきたイクラの軍艦巻きを太い指でつかみ、口に運びながら室田が言う。
「いや、僕が言いたいのはそういうことじゃない。剣君は、鬼頭精機で旋盤に触れたばかりの頃、もっと楽しそうにしていたよね」
「楽しそう……か」
楽しかったかどうかは分からないが、あの頃は確かに旋盤に向かっている間、大学を辞めて家を飛び出してきたことも、サヨのことも、うざったいなにもかもを忘れることができた。しかし、今はどうだ。削りを覚えれば覚えるほど新しい難題が持ち上がって来る。壁を乗り越えたと思ったら、すぐに次の壁が目の前に立ち塞がってる。それが楽しいなんて言えるのか?
その時、毛利が、「ふー」と大きなため息をついた。
「楽しかったな旋盤」
つくづくそう独りごちた。
「実家の会社は、みんなNC機ばかりだからね。汎用旋盤に触ることなんて、これから二度とないかもしれないな。いや、それどころか、現場の仕事をすることもないかもしれないな」
寂しげに笑った。
そのあとで、両手で旋盤を扱う動作を始めた。
左手で刃物台を逃がす方向にハンドルを回し、右手で「落とし」レバーを解除する。それはねじ切りの動作だった。
毛利は一心にそれを繰り返す。しかし、表情はどこまでも楽しげだった。
(つづく)
 

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株式会社ヒューテック・藤原多喜夫社長

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