日曜の午後、拳磨は荒川土手に寝転んでいた。こうしていると、初めてこの町に流れてきた時のことを思い出す。やはり、こうやって一人空を見上げていたっけ。
しかし、今は違う。隣に美咲が腰を下ろしていた。それから、青々とした草ではなく、あたりには枯葉のにおいが漂っていた。拳磨はこの季節になると、どこからかハモンドオルガンの音色が低く流れてくるような奇妙な感傷にとらわれるのだ。柄ではないのだけれど。
「わたしね、エントリーシートが通って面接まで進んだんだ」
「ほんとか」
拳磨は身を起こした。ひざ丈のスカートから伸びた美咲の脚が午後の陽を受けていた。もう薄ら寒かったが、それは艶めかしく拳磨の目に映った。
「前はね、就職できるんならどこでもいいやってつもりで書類を送ってたの。でもね、自分がほんとにしたいことってなんなんだろうって考え直してみたんだ」
「で、なんだったんだ、アンタのしたいことって?」
拳磨は訊いてみた。
すると、美咲ははにかんだように笑った。
「それがね……なんか照れちゃうな」
「なんだよ」
「人の役に立ちたいって思ったの。ちょっとエラそうでしょ」
「んなことねえよ」
「ほんと?」
「なんつーか、立派だよ。若いのに」
「若いのに、って、拳磨君だって若いじゃない」
「いやさ、若いとか齢食ってるとか、そんなんじゃねえな。人の役に立ちたいって、そんなふうに思ってる人間がいるんだな」
つくづくそう思った。
「やあねえ。そんなふうに改めて言われたら、自分でもどこまで本気なんだろうって、自信がなくなっちゃう」
「自信たっぷりでやるもんでもねえだろ、人の役に立つって」
「そうかもね」
二人してしばらく黙って川面を見つめていた。
「でも、拳磨君のおかげなんだ」
「うん?」
「自分のやりたいことをやるんだって、見つめ直せたこと」
「やりたいことか……」
「今の仕事、拳磨君がやりたい仕事じゃないの?」
「前にも言ったけど、そんなんじゃねえよ。ただ、後戻りできないってとこかな」
拳磨は話題を変えることにした。
「で、あんたはどんな仕事をするんだい?」
「介護の職種に就きたいと思ってるの」
「そりゃ確かに人の役に立つ仕事だな」
「やっと面接を受けられる、ってだけなんだけど」
美咲が小さく笑った。そのあとで、
「拳磨君、後戻りできないって言ったね?」
「え? ああ、まあな」
「だったら、目の前にあるのは一本道じゃない」
「一本道か……」
拳磨は、ねじの溝を思い浮かべた。それは確かに一本道だったが、らせん状にくねっていた。
「どうしたの?」
自分はきっと浮かない顔をしていたのだろう。美咲が心配げにのぞき込んできた。
「俺の仕事ってえのはさ、やればやるほど周りにいた人間が離れていくんだなって、そう思ってるんだ」
「またおまえに追い越されてどうしたらいいんだよ……」と目を充血させていた室田。「僕も最近になってやっとできるようになったのに……」という毛利のささやき声。ねじ切りバイトの刃先を飛ばした時に見せた宮下の冷え冷えとした横顔。
「なにがあっても進んでいくほどの道なのかな、俺の前にある、その一本道ってやつは」
「わたしにはなんとも言えないことだけど、拳磨君の前にはすでに道が続いている。だけど、わたしの前には、やっと道の入り口が見えただけ。神無月メディカルサービスっていう会社の入り口がね」
拳磨はハッとした。
「神無月――だって?!」
思わず美咲の顔を見返した。
「ええ、介護事業には新規参入したばかりだけど、なにしろ大きな企業グループだし、そこで働ければ、やりがいのある仕事にも出会えるんじゃないかと思うの」
拳磨は黙っていた。