連絡先だけはメールで伝えておいた。返信はなかったけれど。
「どんな仕事してんの?」
サヨの精緻な作り物のような長い睫が瞬いた。拳磨は一瞬それに見惚れながらも、
「旋盤」
とだけ、ぶっきら棒に言う。
今度は吾朗が横から、
「旋盤てえと、削りだよな。そっか、やっぱ、おまえ、これまでの下地を活かす仕事に就いたんだな」
「そうだ」
と拳磨は応えていた。
「シタジって?」
サヨはいつものぽかんとした表情でいる。
「歯医者の仕事だよ。拳磨は、歯科大で勉強したことや、剣家代々の秘伝の技術を旋盤で発揮してるってことなんだ。なあ、拳磨?」
「違う。俺はこれまでケンカでさんざん顔を削ってきた」
そう言った時には決心がついていた。もうなんだろうと関係ない、旋盤の仕事をやっていくんだと。
「それがおまえの下地かよ?!」
二人は拳磨の言葉をただの冗談だと受け止め笑っていた。
「俺ら、これから福島に行くんだ」
吾朗が、「な」というようにサヨにほほ笑みかけた。
「福島って、群馬からだったら方向が逆じゃないか。なんで東京に?」
「おまえに会って、詫びて、礼を言ってからにしたいって、コイツが」
再びサヨに視線を送る。その目がなんとも愛しげだった。
「福島でパン屋さんやるの」
相変わらず月光がサヨの頬の輪郭をいろどっている。その頬に笑みが広がった。
「居抜きで借りられる店を紹介してもらってな」
「そうか」
安堵とも嫉妬ともつかない感情が拳磨の中で湧き上がった。自分は常にとらえどころのない感情で行動を起こしてきた。この二人に対しての。サヨに対しての。
「ちょっと待ってろ」
拳磨は部屋の玄関に戻ると、靴箱の裏の隙間に隠していた封筒を取り、二人のもとに戻った。
「持ってけ」
それは、親に返すために少しずつ貯めていた学費の返済金だった。
「そんな、もらえないよ」
「いいから」
なおも封筒を突きだした。
「カッコ悪くて、今さら俺も引っ込められないだろ」
「それほど言うなら、じゃあ」
吾朗が、拳磨の手から遠慮がちに受け取った。
吾朗とサヨがバンに乗り込んだ。
「店のほうが落ち着いたら連絡する。そしたら、パンを食いにきてくれ」
「分かった」
「またね、ケンちゃん」
助手席にいるサヨが、吾朗の肩の向こうからこちらを見ていた。
「幸せになってね」
「なんだよ、それ?」
「だって、ケンちゃんには幸せでいてほしいんだもん」
「おまえらもな」
吾朗がバンを発進させた。
路地を抜けていく車を、拳磨は見ていた。それまで吹いていなかった夜風が立ち、街路樹の病(わくら)葉(ば)を散らせた。
「なあ、さっきのサヨだろ」
部屋に戻ると室田が擦り寄ってきた。
「また一段とキレイになってたじゃんかよ」
「あの美人さんは誰?」
毛利も二階から覗いていたらしい。
「地元の高校にいた女ですよ」
「へえ、鄙(ひな)にはまれなってやつだね。きみらの田舎町にも、あんなコがいたんだね」
「ちょっとー、先輩、それは失礼ってもんでしょ。なあ、拳磨」
室田のご機嫌はすっかり直っているらしい。
「一緒にいたの土肥だよな? まだあの二人、付き合ってんだな」
男のほうには興味がない毛利が、
「なんて名前なの、彼女?」
「サヨ」
すかさず室田が応える。
「サヨちゃんか」
「それがね先輩、このサヨをめぐってひと悶着あってね、高校ん時」
「なになに? 聞かせて」
毛利は目を輝かせている。
「隣の高校の神無月って金持ちのせがれがサヨに惚れてね」
「ちょっと待って! 金持ちの神無月っていったら、もしかしてあの神無月グループ? 金融業から立ち上げて、今では不動産、観光、レストラン、介護事業まで手広くやってる」
「そうそ。その神無月。純也って跡取りがいてね、おっと、跡取りったって、毛利製作所とはスケールが違いますよ」
「分かってるよ、そんなことは。で?」
「お目に留まったんですよ、サヨが」
「その御曹司のお眼鏡にかい?」
室田が大きく頷く。
「でも、サヨには、さっきも下にきてた土肥って男がいた」
「なるほど」
「で、腕づくで引き裂こうってんで、俺たちが雇われたワケですよ」
「サイテーだね、きみは」
「ところが、土肥の代わりに現れたヤツに」
と拳磨に視線を向ける。
「二十人の傭兵が叩きのめされた」
「二十人を相手にしたの?!」
毛利が恐々といった感じでこちらを振り返る。そうして、すぐに再び室田に顔を向けた。
「しかし、凄まじいね、神無月の所有欲って」
「いや、神無月だけじゃないですよ。男なら、みんなサヨに興味を持つはずですよ。なにしろサヨは……」
「やめろ!!」
拳磨の中に燃えたぎるような怒りが広がった。
「それ以上くだらねえこと口にしたら、てめえの顔を削ることになるぞ!」
(つづく)
SPECIAL THANKS
株式会社ヒューテック・藤原多喜夫社長