「的確な応急処置をしてもらって、助かったよ」
中島という巡査が言った。
男性が救急車で担ぎ込まれた病院で、拳磨は指に包帯を巻かれた自分の手を眺めていた。大丈夫だと言ったのだが、「感染症予防のためにも病院で手当てしたほうがいい」と現場にやってきた中島に勧められたのだった。倒れた男性の口から異物を掻き出した際、歯で指を切ったらしい。
毛利、室田、ユリとエミも一緒に病院にきていた。
「で、あの人は?」
とユリが訊いた。
「この近くの病院に入院していた男性でね。来週早々に退院が決まっていたらしい。体調もいいし、病室を抜け出して宵の散歩とシャレ込んだ。途中、露店で茹で卵を買ってパクついてて、のどに詰まらせたってわけだ」
中島は四十代半ばといったところ。とても背が低くて、おそらく警察官の採用条件ぎりぎりを満たすほどの身長しかないのでは、と思わせられた。だが、タフではありそうだった。
拳磨はこれまで、ケンカ絡みで何人かの警察官とかかわることになった。事務的なの、高圧的なの、いろんなサツカンがいた。この中島は、ユリの質問に対して、「そんなことは、関係ない」と一蹴したりはしなかった。
「きみたちの車までパトカーで送ろう。飲酒しているようだが、これからどうするんだね?」
中島が毛利と室田を見やった。
「俺は飲んでません」
拳磨は言った。
中島がこちらを見た。しばらく拳摩の目をじっとのぞき込むようにしていた。
「なるほど。きみがそう言うんなら、確かにその通りなんだろう」
物分かりがいいじゃん。いや、人命救助の見返りに、あれこれ詮索しないつもりなのかもしれなかった。
今度は中島が、ユリとエミに視線を送り、再び拳磨を見た。
「彼女らは、署の者が責任を持って家に送り届ける。それでいいね?」
えーっ! そりゃないぜ!! せっかくユリもその気になってたっていうのに。こんなことだったら、とっととヤッとくんだったぜ。
「バカヤロー!」
月曜の朝、工場に行くと、いきなり宮下にどやされた。
「てめえ、そんな手で旋盤扱えると思ってるのか!」
「たいしたケガじゃないんで、引っかかって危ないっていうんなら包帯を取ります」
拳磨は言った。
「そんなこと言ってるんじゃねえんだよ! 包帯をチャックに引っかけて、おまえがもっと大ケガ負おうが、そんなこと知ったこっちゃねえ!」
すると、傍にいた毛利が慌てて、
「宮下さん、剣君は海岸で倒れた人を助けようとして……」
「黙ってろ!」
毛利を一喝すると、再び拳磨をにらみつけた。
「いいか剣、半人前にもなれねぇおまえが、その手でどんな仕事ができるんだ? ド素人がケガしたら、周りにどれだけ迷惑がかかるか、そいつを考えろ!」
ひどくみじめだった。自分が情けなかった。
宮下の言う通りだ。自分はみんなに迷惑をかけてるだけじゃないのか……
宮下に作業場の掃除を命じられた。ほうきで床を履いていると、散らばっている切り子が自分をあざ笑っているようだった。
(つづく)
SPECIAL THANKS
株式会社ヒューテック・藤原多喜夫社長
参考文献『トコトンやさしい旋盤の本』澤武一著(日刊工業新聞社)