kataya

第八章:削り

拳磨には分からなかった。大鳥居会長が言っていた「人間が削る」という意味も、毛利社長が「極めろ」と言った「道」の意味も。自分はいったいどこに向かおうとしているのか?
「おい、あれ、土肥じゃねえのか?!」
室田の声に目を上げると、店のテレビに吾朗の顔が映っていた。白衣を着て白い帽子を被っている。
「今、福島で話題になっているパン、バイ貝だばいを考案された土肥吾朗さんです」
女性アナウンサーが吾朗にマイクを向けた。
「考案つっても、俺が考えだしたわけじゃないんだけどね。あ、もともとは和菓子だったの。バイ貝だばい本舗の親父さんが考えたんだ。それを俺が引き継いでパンにしたってこと」
「それにしても発売して間がないそうですが、大変な反響ですね。まずは、土肥さんと避難所で一緒だった皆さんのおいしいという評判が一気に口コミで広がったようですね」
女子アナの言葉に、吾朗が何度か頷いた。
「共同の炊事場使ってさ、あれこれ助け合ってきた者同士だかんね。連帯感てーのかな、みんなが応援してくれて」
「最初は、避難所内で毎日、限られた数を販売していたそうですが、今はお店の前に連日、長蛇の列ができています」
「うん、まあ、仮店舗なんだけどね。場所を貸してもらってさ。それに、もっと大きな店でやらないかって誘いもきてるし、近々移ろうかなって」
「このパン、バイ貝だばいが、福島復興の旗印になるのでは、と地元の明るいニュースになっていますが」
「ンな、大袈裟なもんじゃねーんだけどさ、みんながイイ方向に行ける勢いづけになれば最高だよね」
「バイ貝だばいの評判を伝えたい方っていらっしゃいますか?」
「あ、いるいる! このパンつくるのに協力してくれたダチ……いや、お友だちがいてさ。ソイツがいなかったら、このパン生まれてなかったろうナ。なにしろ、俺、ぶきっちょなもんだから。ハハハハ。いや、拳磨がね、俺のためにバイ貝の型を削ってくれたわけ。拳磨は旋盤の職人でさ。すんごく腕がいいの。きっとそのうち日本一、いや、世界一の職人になるね、ありゃあ。おーい、拳磨、見てるかあ?」
カメラに向かって手を振っている。
吾朗、あのバカ。
呆れながらも自然と笑みが湧いてくる。
……やったんだな。
拳磨は幼馴染みの成功が素直に嬉しかった。
これでサヨも安心して子が産めるな。



「技能五輪に出ようと思う」と告げると、鬼頭からの返事は「そうだな」のぶっきら棒な一言だった。それは、最初からそうなるのがさも当然とでもいった感じだった。
宮下にも伝えた。
「ミヤさん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いされてもな、誰でも出たいと思ったら、技能五輪全国大会に出られるわけじゃないんだぞ」
なんとも意外な応えが返ってきた。
「どういうことです? 技能五輪全国大会に勝ち抜いた者が国際大会の技能オリンピックに出場できるんですよね? 国内大会は、国際大会の前哨戦なんじゃあ……?」
「そのとおりだ。だがな、おまえ、あまりに軽く考えてないか? 全国大会ってからには、そこに出場するための予選を勝ち抜く必要があるんだぞ。高校野球だって、甲子園大会にいきなり出られるか? 地方大会を勝ち上がった学校だけが出場できるわけだろ」
マジかよ……
「じゃあ、予選があるんですか?」
宮下が頷いた。
「まずは来年春の技能検定を受験するんだ。技能検定普通旋盤作業の二級実技課題合格レベルが最低条件になっている。すべてはそこからだ」

今さら検定試験かよ、面倒くせえな、という気持ちは確かにあった。だが、まずは技能五輪全国大会参加資格を目指す、拳磨の挑戦が始まった。
思えば、自分は流されるままこの道に入っていた。技能五輪でメダルを取ることで、自身になにかが証明できるかも知れない。それに大鳥居や樽夫の言葉の意味も、この戦いの向こう側に見えて来るかも知れなかった。
いや、面倒な理屈なんぞ関係ねえ。ケンカと一緒だ。やるからには勝つ! それだけだ。
旋盤は中腰の姿勢での作業が長時間続く。拳磨は朝五時に起きて、一時間のロードワークを始めた。そのあと、荒川土手で腹筋、背筋、腕立て伏せをそれぞれ二百回ずつこなした。
季節はいつしか冬になっていた。土手の上を走りながら、時々両手でリズムを刻み、“落とし”のタイミングをはかる。寒くても走るのは気分がいい。思えばサッカーをしている頃も、走るのは好きだった。もっと早く始めていればよかった。
鬼頭は以前のように拳磨に課題を与えなくなっていた。技能検定に向けても、特になにをしろでもなかった。ただ、「普段の仕事をしろ」とだけ言われた。
宮下がごくたまに話題を振ってきた。
「現場でNC機が主流となった今、技能五輪国際大会では旋盤もNC工作機械職種に統合された。これに合わせて、韓国も台湾も、国内予選はNC機による競技を実施するようになった。しかし、日本では汎用機による競技会が今も続いている。ハンドルのわずかな回転の遊びを手で感知し、千分の一ミリの精度を意識する感覚や、製品の回転数、刃物の送りなどの設定が、NCプログラミングの基礎訓練になるとされているからだ。まあ、日本のこの考え方は、世界ではなかなか通用しないわけだが、な」
「で、ミヤさんはそのへんをどう考えてるんです?」
拳磨は訊いてみた。
「汎用で得た勘が、NC機で活かせるかってことか?」
「ええ」

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