
主軸の回転速度も、切り込み量も機械に頼ることはできない。すべて手加減だ。極限の精度と勘が要求されるわけだが、反面、モーターの振動がない分、精緻な加工ができるともいえた。
いつしか拳磨は、自分の身体が独自のリズムを刻んでいるのを感じた。
主軸を回す手、刃送りのハンドルを回す手、両手が無意識のうちに連動し合って削りを行う。そんな動作を繰り返しているうちに、拳磨は自分がひどくシンプルになっていくのを感じた。無だ。
深夜の工場で拳磨は旋盤と一体化していた。
*
窓から射し込む朝陽の中で、銀色のバイ貝が輝いていた。総型バイトの刃先が削り出した巻貝の螺旋が、やわらかなフォルムを描いている。拳磨はそれを見下ろしていた。
「とうとうやったんだな」
背後で声がした。
振り返ると樽夫が立っていた。
「どうやって削ったんだ?」
拳磨が応えると、
「初期の旋盤は、手回しだった。剣君がやってたのは、まさに削りの原風景だべ」
「削りの原風景……」
拳磨は再びバイ貝を見下ろした。螺旋に、自分の湾曲した顔が映っている。その横に樽夫の顔が並んだ。その目を見て、拳磨はハッとして樽夫のほうに向き直った。
樽夫の表情は冷たかった。
「すみません、夜中に工場で勝手なことをして」
「これはオニセンが知恵を貸したことかな?」
「はい」
樽夫は硬い表情のまましばらくなにか考えているようだった。
「剣君、そろそろ東京に帰る頃かもしれないべ」
「毛利社長……」
「いや、誤解しないでもらいたい。きみには本当によくやってもらった。ウチがなんとかここまで持ち直したのも、剣君の力が大きいべ。心からそう思ってる」
「そんな」
「だがな、そろそろ剣君をオニセンに返さんといかん頃のようだべ」
「どういうことです?」
「オニセンは、剣君をこれまでになかった削り屋にしようとしてるらしい」
それは大鳥居が言っていたことと同じような言葉だった。
「困るんだ、きみにいてもらっちゃあ」
樽夫の口から出たそのひと言に、拳磨は突き刺さるような思いがした。
「これ以上、剣君がここにいることで、せがれに悪い影響を与えたくないんだ」
「………」
「せがれを鬼頭精機に修行にやったのは、確かにこの俺だ。それは、本物の旋盤をオニセンに仕込んで欲しかったからだべ。でも、旋盤の面白さについてもアイツは味を占めてきた。けど、せがれは、毛利製作所の跡を継ぐ人間だ。職人になるわけじゃない。それを、目の前で剣君に曲芸みたいな削りを見せつけられることで、せがれを迷わせたくないんだ」
拳磨には返す言葉がなかった。
「それに、旋盤はただ面白いもんじゃねえべ。アイツは面白いところまでしか知らねえ。本当の道を究めようとすれば、天賦(てんぷ)の才が必要だ。アイツにはそこまでの天分はない。どんなに努力しようが、剣君のようなのと競えば、破れて傷つくのが目に見えてる」
樽夫は一度押し黙ってから、
「思えば、俺がオニセンに寄せる気持ちもそんなだったのかもしれんなあ」
その週末、拳磨は毛利製作所の前にいた。従業員全員が見送りに出ている。前の晩には、樽夫が盛大な送別会を開いてくれた。
「剣君、いろいろありがとう」
毛利が、バイクに跨った拳磨に声をかけた。送別会の席で、「実は内緒なんだけど」と、毛利から萌と付き合っていることを打ち明けられた。震災直後、雪の中を三時間半かかって歩いてきたあの女子従業員だ。
今も毛利は萌と並んで立っていた。拳磨はそれをさりげなく眺めてから、
「大変お世話になりました」
樽夫に向かってもう一度言った。
頷くと樽夫が、
「剣君、極めろよ、道を」

拳磨はそれには応えず、フルフェイスのヘルメットを被った。そして、皆の声に送られて、バイクを発進させた。
寄って行くところがあった。吾朗とサヨがいる、あの廃校の避難所だ。
旧剣道場に行くとサヨだけがいた。
「ゴロちゃん、炊事場にいるの。呼んで来る」
と言う彼女に、削ったバイ貝を押し付けるように手渡すと、拳磨は一路東京を目指した。
(つづく)
この物語はフィクションであり、物語を構成する一部の技術に、実際と異なる演出や表現があります。
また、物語の構成上、一部に現存及び類似する商品、商標、人物、団体名などが登場しますが、これらはその経済的価値を利用し、またはその信用を損ねる目的で使用しているものではありません。
執筆に当たっては、製造業関係者の皆様のご協力を得ていますが、作中に誤りがあった場合には、それはすべて作者が創造したものか、認識不足によるところです。
上野 歩
SPECIAL THANKS
株式会社ヒューテック・藤原多喜夫社長