kataya

第七章:螺旋(らせん)

「さて、そんじゃ、旋盤のところに案内するべ」
「えっ、ホントですか?!」
「そのためにきたんじゃろ」
大鳥居会長自ら時間をつくってくれるというのか……
「なんじゃ? ほかのモンは忙しくて、こんなことに付き合っておれん。時間があるのは、ワシだけだべ。会長だからこそ、こんな粋な格好して、ふんぞり返っていられる」
拳磨は大鳥居の赤シャツと白パンを眺めた。
「さ、行くべ」
大鳥居はドアを開けて外に出てゆく。
慌てて拳磨もそれに続いた。
「ちょっと出かけて来る」と大鳥居が声をかけると、現場で作業している従業員から「いってらっしゃい」と声が返ってきた。

拳磨は駐車場で真っ赤なセダンに乗せられた。「どこに行くのだろう?」
小柄な大鳥居がハンドルを握っていると、外界からは運転席に人が乗っていないように映るのではないかと思ったりした。
「着いたべ」
そう促され、車を降りた拳磨は目の前に広がる風景に言葉を失った。小高い丘から見下ろす海岸沿いには町がなかった。
「みんな流されちまった。あの日、旋盤も工場と一緒に、な」
遠くで、瓦礫を撤去する重機が数台動いていた。その音だけが微かに耳に届く。あとは海からの強い風の音だけだ。
樽夫から聞いた旋盤はすでに失われていた。自分の手でバイ貝を削るのは、やはり諦めるしかないかも知れない。だが、そんなことなど、今見ているものに比べれば、なんだというのだ……
「大鳥居鉄工所はすべてを失った。だが、これからはテクハートとして生まれ変わるんじゃ。テクノロジーだけじゃない、人間が削るんだべ。分かるか?」
「NC機で削るんじゃなくて、汎用に立ち返るってことですか? だったら、俺だって……」
「分っとらんなあ。師匠が師匠なら、弟子も弟子じゃ。そうだ、例のバイ貝、仙作ならどう削るって言うかの」
「ウチの社長がですか?」
すると大鳥居は、
「ホッホッホッ」
とまた面白そうに笑った。
拳磨はジーンズのポケットからケイタイを取り出すと、熱風の中で東京の鬼頭精機にかけた。
「おお、剣か」
宮下が出た。
「光恵にはいつも世話になってますよ、ミヤさん」
「なんだって? 風の音か? なんだか、うるさくてよく聞こえねえよ」
「スミマセン、社長をお願いします」
「社長? ちょっと待ってろ」
電話の向こうで宮下が鬼頭を呼ぶ声が聞こえていた。
「もしもし」
鬼頭が出た。
拳磨はなんの前置きもなくバイ貝を削りたいことを伝えた。鬼頭のほうも、どうしてなんだといった理由をいっさい訊かない。それは大鳥居と一緒だった。
「モーターで回すだけが旋盤じゃないっちゅうことだ」
ひと言だけそう伝えると、鬼頭が電話を切った。
モーターで回すだけじゃない……どういうことだ?
拳磨はある考えに行き着き、衝撃を受けた。すると、さっきまで圧倒されていた眼前の風景がすべて消え去ってしまった。
思わず天を仰ぐ。真夏の太陽が降り注いでいた。灼熱の光線さえ、シャワーのように心地よく感じられた。できる、この方法なら削れる。
「結局、削りがすべてなんだ。おまえも、仙作と同様に、な。蛙の子は蛙じゃ」
拳磨は、そうつぶやく大鳥居を見やった。
「だが、そこに人のハートはない」

深夜の毛利製作所で、独り拳磨はバイトを研いでいた。いや、これは、単に研ぐという行為ではない。つくっていた。
バイトの先は尖っている。しかし、それでは巻貝のやんわりしたアールは出ない。拳磨は、貝の螺旋に弧を描かせるため、半円の刃先を持つバイトをつくっていたのだ。
刃形の輪郭を工作物の形状に合わせて加工するバイトを総型バイトという。それはまさに創造(つく)ることだった。
グラインダーでバイトをつくっているうちに、拳磨は刃先になにかが宿るように感じた。これが、精神とか心とかいうもんだろうか?
いや、やはり違うだろう。さっき大鳥居のジイさんが言ってたのは、もっと別のことのような気がする
グラインダーで火花が散り、熱を持ったバイトを水につけると、ジュッと音がした。拳磨はその刃先を眺め、満足した。
いや、とりあえず、昼間に大鳥居と交わした会話のことはいい。オニセンに心があろうとなかろうと、それもまたどうでもいい。
とにかく今は、削ることだ。
拳磨は以前に削った手のひら大の円錐をチャックに装着すると、モーターを起動させず、ろくろのように主軸を手で回した。
「モーターで回すだけが旋盤じゃないっちゅうことだ」――鬼頭の言葉が頭の中で甦る。
心押台の丸ハンドルを送り、回っている金属の円錐に、さっきつくった総型バイトの半円の刃先を切り込む。手力による惰性の回転と半円の刃が、やわらかなアールを描き出す。
主軸を回転させる手と、刃を切り込むハンドルの反復運動が巻貝をつくっていく。しかし、それはまさに気の遠くなるような作業だった。貝殻の螺旋は一本道だ。その一本道の最後まで行き着いたら、再び歯を戻して、螺旋の最初から道を辿ってゆく。そうやって、少しずつ少しずつ削ってゆくのだ。
しかも、機械が自動送りになっていないから螺旋の入り口を自分の目で決めなければいけないのだ。手もとが少しでも狂えば、それでオシャカになる。
額に汗が浮かんだ。

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