特集1 | 空飛ぶことを夢見た人々 |
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特集2 | “超軽量”自転車の開発者~航空業界と自動車業界で名を馳せた男が挑む~ |
特別企画1 | ガンプラに命を吹き込む男たち~モノづくりを支える若き設計者の活躍~ |
特別企画2 | モノづくりインターンシップ体験記~キャンパスでは得られない人との交流~ |
連載 | Thinkers vok.03~オウケイウェイヴの軌跡~ |
経営者インタビュー | 挑戦を続ける10人のトップリーダー |
戦前・戦中と航空機大国だった日本は、敗戦によって一切の航空機製造が禁止された。しかし、1952年、朝鮮戦争時の米軍機の修理・整備と、防衛庁向けの機体の生産で航空工業力を一部だけ復活。これにより、「これまで育ててきた設計や製造技術を活かしたい」という、技術者たちの想いが徐々に募っていった。そんな中、1956年に通産省主導で、中型の国産輸送機計画が発案。翌年に政府が研究の補助金を拠出し、これに国内の機体メーカーが共同負担して、財団法人輸送機設計研究協会を設立。研究作業に着手した。製造禁止という空白の7年を経て、技術者たちの国産旅客機製造への挑戦が始まったのだ。
白井が大学を卒業して入社したのは日本航空機製造株式会社。戦後初の国産旅客機「YS‐11」を手がけたメーカーだ。翌年、ニッポンの空を羽ばたいた名機は国策によって製造中止となる。次に彼を待っていた職場はトヨタ。そこでは、車体の軽量化、そしてブレーキ開発に明け暮れた。いま彼の職場は、自ら立ち上げたバイク技術研究所。エコロジー時代を切り開く自転車を、東京・多摩の拠点から送り出す。これぞ、技術が次の技術を呼ぶ開発技術者の道だ。
静岡県にあるバンダイホビーセンターは、ガンプラを企画開発から設計、試作・金型製作・射出成形まで一貫して行う、いわばガンプラ工場である。1階にある工場には特殊な多色成形機が16台並ぶ。通常、成形のランナー(組み立てる前のキットのこと。写真参照)の色は1色だが、バンダイが特許を持つ成形機ではひとつのランナーに4色まで使用することができる。それゆえ、塗装を施さなくても組み立てるだけでカラフルな装飾のガンプラが出来上がるのだ。また、1階のロビーには歴代のガンプラが奥までずらりと並び、さながら「ガンプラ博物館」である。ガンプラ好きにはたまらない空間だ。ガンプラは2次元のアニメが原点であり、それを3次元に立体化し、なおかつファンに愛されるようにつくり上げるところに醍醐味がある。今回はガンプラの「設計」を担当している3名の若き設計者に、モノづくりの楽しさやガンプラへの愛を語ってもらった。
インターンシップとは、在学中の学生が企業で短期間の就業体験をすること。モノづくり企業のインターンシップは、大企業の見学型インターンシップとは全く違う。実際に“モノ”に触れることで、日本の製造業のスゴさが体感できる。そして、経営者や現場で働く人と触れ合えることが大きな魅力だ。
「教えて?」「答える!」日本初、最大級のQ&Aサイト、オウケイウェイヴの軌跡〈技術の森〉でおなじみの「質問」と「回答」をつなぐサイトを構築したオウケイウェイヴ。株式公開を果たし、兼元社長の目標である「世界中の人と人を満足と信頼で結ぶ」ことも夢ではなくなった。デザイナー出身の兼元社長が同サイトを立ち上げるまでの経緯、NCネットワークとの関わり。そのすべてについて語っていただいた。