経営者の軌跡

ローツェ株式会社 取締役相談役 崎谷 文雄

ローツェ株式会社 取締役相談役 崎谷 文雄

世界中の半導体生産工場で活躍するクリーン度の高い搬送ロボットを生み出したローツェ。
「世の中にないものをつくる」を合言葉に、高品質で故障しない価値を提供し続ける創業者の崎谷文雄氏に話を聞いた。

用紙に収まりきらない履歴書

社名のローツェは、エベレストのすぐ南に位置するヒマラヤで2番目に高い山の名から付けた。この社名には、業界トップの顧客に寄り添い、「縁の下の力持ち」になるような製品で支えていくという決意が込められている。

崎谷文雄氏は、1945年岡山県生まれ。小学校5年の時、「鉱石ラジオ」を見て電気に興味を持ち、中学生の頃、ラジオの修理を見て電子回路の勉強を始めた。理科と数学は、特に勉強せずとも理解できたという。高校は普通科ながらも、ラジオや白黒テレビの修理ならば、すでにお手の物。「好きこそ物の上手なれ」で、ラジオ店で、白黒テレビ修理のアルバイトをした。大学時代は、「壊れたテレビ500円で買います」と新聞広告を出し、修理して駅前の質屋に販売した。仕入れ値に対して6倍の販売価格で飛ぶように売れた。

大学では理工系に進んだものの座学中心だった。もっと実践的な技術を学びたいと中退し、専門学校でカラーテレビの修理技術を学んだ。

専門学校卒業後20歳で上京し、住み込みで働き始めた。当時の大卒の初任給が12,000円のところ、カラーテレビの修理なら月給60,000円になった。これだけの高給取りだと、世の常で仲間内の話題はマイホームや飲み屋の女性、スポーツカーの話題になる。崎谷氏はそのどれにも興味がなければ、長男だったためいずれ岡山の実家に帰ることになる。それに「いずれテレビが普及したら修理代は安くなるだろう。お金があっても将来の夢が描けない、先が見えない」と思うようになった。そして、さらに技術を磨くため、再び大学の夜間部に進み、コンピュータと電子回路を学んだ。

大学を卒業する頃になると、当時アルバイトをしていたメーカーから誘いがあったが、もっと思い切った挑戦を求めて東京の船舶機器メーカーへ入社することにした。そこでは、双曲線航法装置ロラン受信機の開発に携わった。崎谷氏のアイデアで会社は特許を取得し、一気にシェアをあげた。香港で海賊版も出回るようになり、会社の先輩からは「コピー品が出るなんて、一流になったな」と褒められたという。

その後2年ほどで岡山へ帰郷。地元で電子回路の設計会社を探したが見つからず、大手電機メーカーの下請けで半導体の後工程を行なっている会社に入社した。しかし、30歳の時、弟が働いていた写真フィルムの現像所を見た際に、現像された写真の枚数を瞬時に計測できる電子天秤を開発しようと思い立ち、独立した。

これは、プリントされた写真は重さが決まっているため、電子天秤を使って重量から枚数を換算することができるというもので、それまで工員が手で数えていたものを自動化できるという画期的なものだった。もちろんアイデアだけでなく性能もよかったが、1台60万円という高額なマシンだったため、1台は売れたがそれ以上は売れなかった。すぐに経営に行き詰まり、今度は半導体の前工程を行なっている会社に誘われ就職。そこで10年間、開発に携わった。

こうして思いもかけず、半導体の前工程と後工程の両方に習熟することとなった。

40歳の時、かねてから温めていた超小型の制御自動化システムの開発に取りかかろうと、2度目の独立を果たした。プレハブ小屋を建て、全社員6人のスタート。これが、ローツェである。

当時、半導体製造の母体となるウエハはベルト搬送が主で塵付着が問題であった。開発したウエハ搬送システムはまったく塵を出さず搬送できるロボットだった。国内はもちろん海外からも引き合いがあり、「ローツェのロボットを」と指名されるまでになった。

会社は人で決まる

ローツェ起業時、崎谷氏はすでに40歳で子どももあり、会社を絶対に成功させるために知恵を絞った。もし大手企業が参入してきたら、資本力で必ず負ける。負けないためにはどうしたらいいか。そこで3つの方法を考えた。

まず、製品広告を無料にする方法だ。今後開発する製品は「他社が販売している同等品は製品にしない。従来より優れた製品、すなわち世界的にニュースとなる製品のみ商品化しよう」と決めた。世の中にないものならば、新聞や専門誌などが取り上げてくれ、無料で宣伝してくれる。自分で広告を出すより、他人が褒めてくれた方が宣伝効果は大きい。無料で宣伝が出来、製品が売れる。まさに一石二鳥だ。

次に考えたのは、世界的なニュースとなる製品を、継続して開発する方法だ。「会社は、個人の技術を実務に発揮するところであり、さらに個人の技術の向上を図り、将来の希望を実現させるところ」と定め、心を同じくする社員を集めることにした。

そして3つめは、個人の技術を実務に発揮できる人を採用する方法だ。チャレンジ精神が旺盛な人材を採用し、採用後も自発的に技術を身につけてもらわなければならない。入社テストでは、3時間の性格テストで空間力(考える力)を重視して採用した。

そして外に対しては、業界のトップ企業を攻め、信頼を勝ち取ってきた。資金調達では、ベンチャーキャピタルを活用し、事業を急成長させた。

起業して10年ほどでベトナムに進出。これは、切削用のアルミニウム材料が日本は他国に比べ2倍以上と高価で、世界に販売するためには売価を抑える必要があったためだ。ベトナムを選んだ理由を「義務教育のレベルが高く、米国のシリコンバレーで聞いた話では納期を守るのは、日本人とベトナム人。アメリカの義務教育で成績優秀なのは、昔は日本人、次に韓国人、今はベトナム人だ」と評価が良かったからである。

ベトナム進出の同年、台湾、アメリカ、シンガポール、そしてその翌年、韓国に子会社を設立、現在では中国、ドイツにも進出してグローバルに展開している。この世界展開は、爆発的なスピードをもって行われた。

海外での販売やメンテナンスにおいても、システムのそもそもの構造がメカと電気を一体化したユニットであることが功を奏した。故障したら、ユニットごと取り替えればよいためだ。

そして設立から30年ほど経った2016年8月、東証一部に上場を果たした。

技術立国「日本」の後継者を育てる

崎谷氏は、自らのサラリーマン時代を振り返り、釈然としなかった経験を思い出す。それは悪平等であったり、「サラリーマンとはこんなもんだ」という諦めの言葉だった。

これから、世の中はますます成果主義になる。これは世界と競争しているのだから避けては通れない道だ。そして日本は電気代などの基本インフラが先進諸外国に比べて高く、価格競争に勝ち残っていくのが非常に難しい。

そのように、ものづくりが困難な日本人は何をすべきなのだろうか。会社は、個人個人の能力を引き出す機会を与える。そして個人も、少しでも得意とする分野を勉強し、伸ばそうと努力し続けることが大切だ。

いま崎谷氏は、大学に赴き講演を行なったり、㈱アドテックプラズマテクノロジーの藤井社長と中学生対象に「楽しいロボット工作教室」を15年間実施。また、㈱キャステムの戸田社長の提案で、幼稚園生や小学生を対象に、紙飛行機や紙トンボ、ベーゴマ、ビー玉、めんこの「遊びのオリンピック」を近隣の5社と協力して開催している。そこで伝えているのは、ものづくりの楽しさに加え、創意工夫して優勝する技術屋魂と「これに関してはだれにも負けない」という自信である。

台湾の子会社の採用試験では、試験を受けに来た人の半数が女性だった。募集する人材を間違っているのではないかと履歴書を見みせてもらうと、台湾の機械科大学卒、カナダの大学院卒という優秀な人材で、電気、電子、ソフト、機械の大卒以上で求人したら半数が女性で驚いたそうだ。崎谷氏は、大学は専門分野の技術を身に着けるために行くものだと改めて思ったという。

この台湾のような大学を出た人と、これから先の日本人は競争して行く。誰かの真似ではなく、言われた通りでもなく、自分の足で自らの人生を生き抜いて行くための力が必要だ。その原動力を、分けていただいた。


ローツェ株式会社 取締役相談役 崎谷 文雄ベトナム工場を拡張。2017年8月1日完成、8月7日稼動開始。

ローツェ株式会社

所在地

〒720-2104 広島県福山市神辺町道上1588-2

TEL

084-960-0001

URL

http://www.rorze.com

創立

1985年

社員数

1,125名(連結)

事業内容

電子機器、半導体・液晶ガラス基板製造用搬送装置等自動化装置の開発設計・製造・販売。
自律分散型処理システム、ドライバ・コントローラ、大気用ウエハ搬送ロボット(ユニット)、真空用ウエハ搬送ロボット(ユニット)、ウエハ搬送装置(システム)、ガラス基板搬送装置(システム)、自動細胞培養装置(インキュベータ)

ローツェ株式会社 取締役相談役 崎谷 文雄 19歳「大学夏休みのアルバイト」

ローツェ株式会社 取締役相談役 崎谷 文雄 26歳「太陽無線㈱」時代

ローツェ株式会社 取締役相談役 崎谷 文雄 ローツェ㈱ 設立時のプレハブ小屋

ローツェ株式会社 取締役相談役 崎谷 文雄 ウエハ搬送システム「RR751」

 

新規会員登録