No.72417 Re: 10301 10298 10288 戦前の、ある大工職人。
2007-05-20 17:50 投稿者: 二代目型屋 リンク:
削除キー (?)
高等小学校は今の中学ですよ、これは間違いありません 義務教育は小学校までですが、ほとんどが高等小学校へは行ったと聞いています 旧制中学は高等小学校の替わりに小学校をでて5年か4年でさらに上の学校 に進学できたそうですから今の高校が旧制中学になるとおもいます 昭和30年ごろは父が独立してしばらくで中卒や職人を雇っていたそうで 工場の二階に住み込みがいて昼の食事と夕方の軽食(うどんの類)は母が用意して いたそうです 後輩は先輩職人の自転車を磨いたり、タバコを買いに行ったりの私用の雑用も させられていたようです そのころは殆どが中卒で高卒が町工場に来ることは殆どなかったとおもいます 昭和40年ごろの採用した履歴書が残っていたのを見ると全部中卒で、 年齢の高い人は高等小学校卒で**年兵役、**年外地出征、**作戦参加 とかの兵役の履歴がかいてあるのもありました
No.72415 Re: 10301 10298 10288 戦前の、ある大工職人。
2007-05-20 13:36 投稿者: CEのユーザー リンク:
utうちも戦前終戦直後と沢山職人を抱え、みな地方からの集団就職組みでい衣食はこちら持ちで、毎日母が何升もご飯を炊いても足りないとこぼしていました。
No.72408 Re: 10298 10288 戦前の、ある大工職人。
2007-05-20 10:39 投稿者: 無学老人 リンク:
> 私の父親は大正中ごろ生まれで、高等小学校を出てすぐに職人になりました、 > 高等小学校は今の中学程度で15歳で卒業です、きちんと勉強をしていれば > 日常生活につかう学業はできたでしょう > ただし数え年なので満年齢だと14歳だったかもしれません > > 上の学校に進学する場合は小学校から中学にはいるようで「旧制中学」と > 呼ばれるのはこの中学のことだとおもいます > (両親から聞いただけの記憶なのであやふやです) > > 当時は親方の家に住み込みで、雑用や使い走りで、叩かれたしたことはあったようですが > 水だけをのんでしのいだとは聞いたことがありません。 > 仕事をすれば、食べ物と寝ることは親方が面倒をみるのがあたりまえだったようで > 今ほど何でもありませんが、ご飯と漬物はあったようです > > 親方がすき焼きを食べる横で、鍋から野菜だけを分けてもらって、 > 肉は食べられなかった話は聞きましたが、当時は世の中が全体がそのような > 社会だったのでしょう、戦争中は白いご飯は不足したようですが、昭和の > 始めは普通に白米は食べていたようです > > 4年ほどしてある程度仕事ができるようになると、結構遊びまわっていたようで > 母親によると昭和に入ると若い男はいつ兵隊に入って死ぬかもしれないから > 死ぬ前に好きなことをさせようと、無茶をするのを黙認する傾向があったようです > > 当時は一人前になる前にやめると他の職場からも相手にされなくなるので、つらくても > やめられいそうで、今のように、嫌なことがあると会社を辞めて替わることはできないようでした > ◎当時は尋常小学校、高等小学校、中学校(旧制中学)と有った様です。 学ぶ年数は今とは違いますが小学中学、高等学校。大学にあたるかと思 います。高等小学を出たと言う事は高校卒業と同じ様な立場です。 職人として出発するには恵まれた条件だったのでしょうね。 地方の山奥で尋常小学も満足には行けずに世の中に出て、行きていく立 場の現実は現在の想像を超えた厳しさが有った様です。 戦後、昭和30年代でも金型屋の見習い小僧と言う者は東京周辺のある 工場で言えば、AM5:00起床、部屋の掃除、住み込む家の掃除窓拭 き、周りの道路掃除。親方の始めるという声で作業が動き出します。 AM8:00頃簡単な食事が出来ました。 AM12:00昼食です。内容はアンパンのひとつ、ふたつが主食。 休み時間も程ほどに親方が動き出す前に作業開始。 夕方、作業の区切りがついた所で、今で言うまともな食事です。 PM9;00頃まで作業は再び続きましたーーー。 ある大工職人を現在で言うと中学にろくに通えず中退して就職活動を する様な者でしょうか。毎日の生活費を稼ぎながら中学の教科書を読 み、なんとか理解する。一般の本を買い理解しようと取り組み人に質 問して憶える。不十分では有るが高校卒業者に近い知識を得る。 そして仕事を覚え職人となっていく。 ---いつの世にも生まれながら厳しい条件の人がいますーーー
ページ上部へ戻る
次回から自動でログイン
パスワードをお忘れの方はこちら