> utうちも戦前終戦直後と沢山職人を抱え、みな地方からの集団就職組
みでい衣食はこちら持ちで、毎日母が何升もご飯を炊いても足りないと
こぼしていました。
◎戦前、東京の真ん中に有る重要な金型、工作機械職人の工場でも大きな
余裕は無かったのでしょうね。 地方はさらに余裕は無く、大工職人とな
ると一日一食生活も有ったでしょう。
一日一食職人は一日三食職人に自ら話す事は無いでしょう。かなりしつこ
く聞けばしぶしぶ語るでしょうが。絶望と諦めず、不当だと犯罪に走らず
教育の足らない分を耳学問で補い知識と経験を積み上げ人を非難せず技能
を身に付け、やがて代金をいただける職人や親方と成った。
ーーー現代とは違いますが時々は想い出したい職人の歴史ですーーー