No.72388 戦前の、ある大工職人。
2007-05-19 19:43 投稿者: 無学老人 リンク:
削除キー (?)
当時の大工職人とはどのような世界に生きていたのでしょうか。 ある大工職人の人生から想像してみます。 山奥の村で田畑も山も無く手伝い仕事で生きている一家に長男として 生まれ、尋常小学4年の時ひらがなをなんとか読める程度で東京に出 た。同郷の人づてでやっとの思いで魚屋の見習い小僧と成った。 毎日が辛く厳しい生活だったろうが、生きていくめどが立ちほっとし た事だろう。それが12歳のときーーー。 そこに関東大震災が起きた。地方の山奥から出てきた小僧には生きて いけない世界に変わっていた。信越本線を歩いて故郷に向かう以外の 道は無かった。故郷で生きる道を探し求めて大工の見習い小僧になっ た。村を出て行き再び帰ってきた者には村人は冷たかったようです。 そうして大工の修行が始まった。 朝早く起き雑用を済ませた頃、直ぐに仕事の手伝いが始まる。そのわ ずかな合間に運がよければ、少しは食べ物が有る。ほとんどの日々は 朝食の変わりに水を飲んだと言うーーー。 12歳の体力を限界まで使い、休み時には水を飲み空腹に耐え夕方ま で手伝う。運が良い日は少しは食べ物が有ったと聞く。 へとへとに疲れてすっかり暗くなった頃、初めて食事と言える物を口 に入れる事が出来たと言う。それから文字を覚える努力が始まる。 真剣に新聞に目を通し兄弟子たちや親方に読めない文字を尋ねた。 ある時は殴られ、ある時はお前など文字を読むなと怒鳴られ、ある時 は生意気だといじめられた。そんな暮らしを何年も続け大体は新聞を 読めるまでになった。 他人の話と新聞記事を考えて文字の意味を少しずつ知っていくと共に 仕事を覚え大工となって行った。その間にわずかな給金をため2冊の 本を買い一生の間、仕事の支えとした。 ---すべては耳学問によって職人となれたーーー
No.72405 Re: 10288 戦前の、ある大工職人。
2007-05-20 09:23 投稿者: 二代目型屋 リンク:
私の父親は大正中ごろ生まれで、高等小学校を出てすぐに職人になりました、 高等小学校は今の中学程度で15歳で卒業です、きちんと勉強をしていれば 日常生活につかう学業はできたでしょう ただし数え年なので満年齢だと14歳だったかもしれません 上の学校に進学する場合は小学校から中学にはいるようで「旧制中学」と 呼ばれるのはこの中学のことだとおもいます (両親から聞いただけの記憶なのであやふやです) 当時は親方の家に住み込みで、雑用や使い走りで、叩かれたしたことはあったようですが 水だけをのんでしのいだとは聞いたことがありません。 仕事をすれば、食べ物と寝ることは親方が面倒をみるのがあたりまえだったようで 今ほど何でもありませんが、ご飯と漬物はあったようです 親方がすき焼きを食べる横で、鍋から野菜だけを分けてもらって、 肉は食べられなかった話は聞きましたが、当時は世の中が全体がそのような 社会だったのでしょう、戦争中は白いご飯は不足したようですが、昭和の 始めは普通に白米は食べていたようです 4年ほどしてある程度仕事ができるようになると、結構遊びまわっていたようで 母親によると昭和に入ると若い男はいつ兵隊に入って死ぬかもしれないから 死ぬ前に好きなことをさせようと、無茶をするのを黙認する傾向があったようです 当時は一人前になる前にやめると他の職場からも相手にされなくなるので、つらくても やめられいそうで、今のように、嫌なことがあると会社を辞めて替わることはできないようでした
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