戦闘艦の写真が何ページかに沢山載っています。朝鮮半島と当時満州
と言われていた地域のおおきな地図が付いています、緑色をした旅順
港要塞を望む絵も大きく付いて、その説明図でしょうか露国側砲基を
記して有ります。 その一番右、山の上に203砲基と有ります。
子供の頃203高地の激戦と乃木将軍は何となく聞いていましたが、
この説明図で初めて状況が想像できました。左右に広がる山の上には
全てにロシア砲撃陣地が有る。攻撃するため、ふもとに迫れば集中砲
撃を受ける、おまけにその先は旅順港。正面攻撃は全部隊の全滅を意
味したろう。一番右の203高地に自軍の砲撃陣地を作れば道は開け
る。 それは相手も良く知っているはず、待ち構えているはず。
兵士はどんな気持ちだったろうーーー実戦は初めての人もいたはず。
正面を行けば全員の戦死、203高地突撃も予想以上の戦死者の数
兵士はそれでも戦い続けた、機関銃に突撃戦法でーーー。その頃日
本の乃木将軍の家に、なぜいつまでも旅順港を占領出来ないのかと
石を投げ込んだ人たちがいたと何かで読んだ気がしますが。
203高地という言葉では少し高い丘だと思っていました。本当は
一番高いロシア砲撃陣地、最強の要塞だったのでは無いでしょうか
よくそんな所へ突撃を続けたものです。
20代の知り合いに聞いてみたら、日本海海戦と東郷平八郎は知って
いました、記念館に行ったので。203高地と乃木将軍は知りません
でしたね。 203高地の記念館は無いのかーーー。