遠い昔の事なので記憶違いもあるとして聞いて欲しい。
まずどんな人だったのか、そのあたりの事から始めたい。
昭和35年頃のこと20才前の若者が当時在ったプリンス自動車に入社
した。 国の公務員がいくつも在った自動車メーカーを二つぐらいに
させようと強力な権力を行使していた時代。
夢を持って入社したら会社が無くなるという事を知る。
宮内庁からだと思うがご成婚用の特別車5台の注文をうけ、これを花道に
会社の全てを他のメーカーにゆだねる事と決定した。
そこで開発、いやいや製作チームが作られた、会社を挙げて。
このチームに若者としては一人だけ抜擢されたという。
5台の車を完成させた時、チームは解散した。
その後退社して自動車部品を作る小さな工場を始めた、22歳ぐらいの
ことだったという。
ある時駅のホームにいる時に、線路に捨てられているマッチの燃えカスを
電車が接近してくる中、何人もの保線員が毎日拾っている事を考えた。
この作業により命を落としている人の嘆きを考えた。
日本全国で何人もの命が。そう考えたときマッチの燃えカスが汚く
見えたという。
これが(マッチの燃えカスを無くす)方法は無いのかを考え始めた
動機だった。 これが始まりだったのだーーー。