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自社の得意な技術や、他社にはまねできない特異な技術を紹介するコーナーです。

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初代赤坂兵之助の仕事 1 「彫刻への情熱と当時の道具たち」

私の祖父である初代赤坂兵之助は、 戦前に「彫仏師」に憧れて、 戦前に大阪に出てきました。 戦後は、 「ものづくりの技術は日本の復興のためにこそ」 として、 射出成形金型などの「産業工業の世界」に移りました。 その成形機での事故に左手を失った祖父は、 退院の当日に、「片手」で、 写真の装具を作り上げ、 そこに鏨(タガネ)を取り付け、 また独り黙々と「彫刻」に情熱を注いでいました。 よほど「彫刻」という仕事が好きだったのでしょうね。    

赤坂金型彫刻所 (日本 大阪府)

初代赤坂兵之助の仕事 2 「打ち出の小槌」

「片手を失ったくらいでは」、と、 祖父はそれからも仕事を続けていました。 大抵の職人さんは、 片手を失っては、 お仕事を諦めると思いますが、 私の祖父は変わり者でした。 自分の作品を褒められたら、 「金は要らん。」と言って持って帰らせ、 逆に作品をけなされたら、 「金は要らん!」と怒りだして、 お客様の目の前でそれを叩き潰す、 そんな「生粋の」職人だったそうです。 ですから、赤坂家には、 本当の意味で「今日のお米がない」、 そんな日が多かったそうです。 (二代目赤坂兵之助幸男・談)    

赤坂金型彫刻所 (日本 大阪府)

初代赤坂兵之助の仕事 3 「記念コインの試し打ち(プレス金型)」

こうして、祖父の形見が出てきてくれたのは、 (写真はプレス金型のテスト打ちのもの) 私が正式に「赤坂金型彫刻所」を継ごうと、 ロゴマークや名刺をデザインしだした時でした。 それまでこれら形見が出てこなかったのは、 色んなことがあった祖父でしょうから、 「大した苦労もしていない、  甘ちゃんのお前にはまだ早い。」ということなのでしょう。 私はもちろん現代の加工もさせて頂ておりますが、 「祖父の仕事の復活」は、 「産業工業と芸術の合いの子」を創る、 そんな風に解釈しております。 微細加工工業会の皆さまや、 エミダスの皆さまのお陰で、 「赤坂金型彫刻所」を伝え...

赤坂金型彫刻所 (日本 大阪府)

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