東日本大震災から9ヶ月が経過した現地を視察。
震災から今まで、被災地に足を運ぶ機会のなかった方々を中心に、
16社19名の方にご参加いただいた。
本ツアーには、石巻で被災した東和工業株式会社の小笠原社長にも同行していただいた。
バスの中から実際に被災地を見ながら、3月から現在に至るまでの被災・復興状況を聞き、
また、小笠原社長が撮影した震災直後の写真も見せていただいた。
地震後に発生した高さ4メートル程の大津波で、石巻港に面して集積していた工場群は
波に飲まれ、ほとんどの工場が半壊・全壊した。
震災直後、道路にはヘドロが蓄積し、様々な製品が散乱していたが、
震災より8ヶ月経過した現在では片付き、道路も舗装されている。
しかし、壁が損壊し鉄筋が剥き出しになった工場や家がまだ多く残っている。
宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町。
日本有数の漁港である女川漁港があったが、15メートル弱の津波に飲まれ、町はほぼ壊滅状態になった。
今は瓦礫はだいぶ整理されたが、ところどころ横倒しになった建物や、鉄骨だけが残るビルがある。
町から見える位置に、東北電力女川原子力発電所があり、現在復旧にむけた作業が行われている。
東和工業株式会社は石巻港から1.5kmの距離にあり、機械部品、精密部品を加工・制作開発している。
震災では、80cmほどの津波に見舞われたが、工場内は幸いにも30cmほどの浸水であった。
工場設備の被害額は2200万円を越えたが、5月には完全に復旧した。
また、全国の製造企業から送られた物資・設備供給の中継地点となり、
周辺の工場や支援物資の届かない近隣住民宅へ、物資をひとつひとつ配ってまわった。
ご参加いただいた方々からは、
「事前に情報として知ってはいても体験するのとで、半年以上が経過しても凄惨の一言に尽きます」
「実際に被災現場を訪れ、改めて、津波や地震の恐ろしさすごさを感じました」など、
自らの目と肌で体験したことによる衝撃の意見が聞かれました。
『実際に目で見ると衝撃的でした。以前何度か行った石巻や女川が変わり果ててしまった。町の一帯が何もない状態であること、
まだ片付いていないこと、おびただしい量の瓦礫。震災は復興に向かっていると思っていましたが、
何もない町を見ると「どうやって復興するのだろう」と、前途多難であると感じました。』
『震災から半年以上経ちましたが、バスの窓から見る瓦礫や車の残骸を目にすると、胸が痛くなる想いでいっぱいでした。
女川町の町に着き、バスから降り建物や海を目の前にすると復興までの道のりは遠く厳しいものだと痛感致しました。』
『遠く離れていると既に忘れかけていた震災の悲惨さを、改めて思い起こしました。そしてまだまだ被災地には支援が必要だと。』
『被災された方の生の声、地元でしか聞けない情報を聞かせていただき、とても胸にささりました。』