「打つ手は無限」を合言葉に掲げ、どんな困難にも果敢に立ち向かう。
当社の歴史は昭和46年(1971)、実家の土間に設けたわずか3坪の工場で、刃物のプレス加工を開始するところから始まりました。
その後、刃物業界の将来性に不安を抱き、他業種のプレス加工へと進出。また、現在の工業団地へと移転した頃には、バブル崩壊に直面し、事業が立ち行かなくなる危機感から板金加工を新たに開始しました。
「仕事を下さい」と必死にお願いして回り、持ち帰った図面を広げながら「どうやって作るんだろう?」と格闘する日々が続きました。
当初は板金加工の知識が全くない状況でしたが、お客様からのご依頼にお応えしようと懸命に努力を続けた結果、その後の成長へと繋がっていきました。
「打つ手は無限」を合言葉に、どんな困難にも果敢に立ち向かえば必ず答えは見つかる。そんな強い信念の下、新たな挑戦を続けてきたのです。
遠回りしながら独学で技術を習得。そこで得た経験が大きな財産に。
17歳で独立した当初から、ほとんどの技術を我流で習得し、磨き上げてきました。
今振り返ってみれば、大変な遠回りをしながら試行錯誤してきたわけですが、この遠回りの経験が、当社の大きな財産になっていると感じています。
お客様からの難しい要求に対しても、既存のやり方を見直し、工程を変えることで何とか実現させることができる。長年の苦労の中で培われた創意工夫の力が、お客様に喜ばれるモノづくりの原動力になっているのです。
今、時代は大きな転換点を迎えています。これまで職人が担ってきた技術の多くが、最先端の工作機器などに代替させていくはずです。
それでも私たちは、絶えずチャレンジを続けながら新たなモノづくりの可能性を切り拓き、金属加工の技術を通じて社会に広く貢献していきたいと思います。
最終更新日:2020-06-16
1971年4月 金子プレス 創業 刃物製造中心 |
1988年12月 岐阜県関市宮地町から関市肥田瀬(関連合刃物組合内)工場移転 |
1989年4月 プレス、45ton~200ton 順送、トランファーなど自動化中心に設備増設(自転車、自動車部品加工中心) |
1990年1月 有限会社金子金属興業所 設立 |
1992年12月 NC、ターレットパンチ、ブレーキベンダー、溶接等金属板金に切替え始めた。 |
構成家具、機械部品、薬品庫、シューズBOX、その他金属加工等に力を入れ始めた。 |
2000年1月 製品の、塗装、組付、梱包、完成品迄加工を手がけ始めた。 |
陳列棚等加工を始めた。 |
2002年12月 北工場、3階建事務所増設 |
2003年1月 ロボット溶接機を導入とプレス、ブレーキ等の設備の拡大 |
照明器具製造、安定器から加工スタート |
2003年4月 照明は、インバーター使用の照明を完成品まで製造 |
PSEを取得 |
2004年1月 第一西工場増設 |
溶接、組付、専用工場 |
2006年1月23日 資本金、500万円から1000万円へ増資 |
社名 株式会社コーポレーション金子に改称 |
2007年5月 第二西工場増設 |
プレス部門 |
2008年9月 第二西工場増築(梱包中心工場) |
2009年9月 プレス部門自動送り付導入で大幅設備拡大 |
2014年12月 AP100 2次元CAD/CAM導入 |
SheetWorks 3次元ソリッド板金CADシステム導入 |
Dr.ABE_Bend 曲げ加工CAM導入 |
2016年3月 テーブルスポット溶接機 導入 |
2017年2月 EG6013 デュアルサーボベンダー導入 |
2018年2月 LC2515C1AJ ファイバーレーザー複合機 単体機導入 |
4D板金エンジニアリングシステム VPSS3i 導入 |
2018年3月 HG1303 ハイブリッドドライブベンダー導入 |
2018年7月 第2工場竣工 |
空調設備導入 |
2019年9月 LC2515C1AJ+AS3015NTK+ULS3015NT |
ファイバーレーザー複合機+棚10段+棚10段 自動化 |
2018年10月 メタルエステ1000 導入 |
2019年2月 2510M2 ACサーボダイレクトツインドライブNCT導入 |
HG5020 ハイブリッドドライブベンダー増設 |
FD-V25 インバータースポット機+ハンドリングロボットシステム導入 自動化 |
本社工場、第2工場板金ラインレイアウト変更 |
2019年3月 ハンディプローブ 三次元測定機 2機 導入 |
最終更新日:2024-08-05
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