当社は、「溶射」という表面改質技術の専業メーカーで、1933年京都の地に私の祖父である立石亨三が創業して以来、今日に至っております。
また、日本に於いて最長の歴史を誇り、まさに「溶射」のパイオニアと自負しております。
ところで「溶射」ってご存知ですか?
う~んこれがなかなか奥深い、というか大変面白い技術なんです。
是非とも弊社HPへ来て、アイコンをクリックしてみてください。
http://www.shinco-metalicon.co.jp/index.html
「えっ!こんなことも出来るのか!」「こんな所にも使われているのか!」なんて新しい発見がきっとあります。
私自身がこのすばらしい表面改質技術「溶射」にすっかり惚れ込んでいます。
だからあえて言わせて下さい。
「溶射とは?」と尋ねられたら自信を持って「夢を叶える魔法の技術だ!」とお答えします。
しかし、あの「ハリー・ポッター」でさえ「魔法」を自在に使うようになるには多くの修行を積みました。
私どもシンコーメタリコンの溶射とて、長い年月をかけて先輩諸氏が研究・開発そして飽くなきチャレンジを繰り返すことで、新しい可能性を生み出してきたのです。
さあ覗いてみてください。
あなたにとって新しい発見、アイデアがきっと見つかります。
さて、自己紹介をかねて青年の主張を少しさせていただきます。
私の好きな言葉の一つに「正々堂々」があります。
「常に前向き、卑怯な手段を用いず、態度が立派な様」を表した言葉ですが、確かに人生や事情というのは山あり谷ありの連続です。
しかし、その時々の局面に対して真っ向から対峙することで必ずしや、道を開けるものと確信しています。
卑屈にならず、誠心誠意人と向き合うことで理解し合い、そこに共存共栄の気持ちが生まれてくるのです。
どんなに時代が機械化・ロボット化しようとも、我々は人間同士のつながりの中で生き、そして成長し続けているからです。
これからも、正々堂々を貫き通したいと考えています。
そしてもう一つ、私自身、幾つになっても夢を追い続けていたいと思うのです。
事業家としては、社員一人一人と目線の合った存在でありたいと考えています。
ここの社員一人一人にそれぞれの夢や希望があるわけです。
それらすべてを叶える事は不可能かもしれません。
しかし、一つでも共有できる夢や希望を、社員と共に追い詰めて行きたいのです。
個人的な夢もあります。
それは、いつか映画を創ってみたいということです。
学生時代映画創りに携わった私は、映画こそ人間の営みそのものであるのではないかと考えております。
脚本・美術・映像・音楽そして思想などがすべて1本のフィルムに織り込まれているのです。
いつかきっと、心に宿る映像をフィルムに焼き付けてみたいものです。
そんな夢やロマンを持ち続けることが、やり甲斐や生き甲斐を生み出す活力となるのではないでしょうか?
最終更新日:2010-09-06
ISO9001:2008 品質マネジメントシステム 認証
(01570-2006-AQ-KOB-UKAS/JAB)
日本工業規格表示工場
JIS H 8300 認証番号:JQ0508203
最終更新日:2010-08-30
1933年 昭和8年 10.15 京都・山科に合資会社メタリコン工作研究所を設立、各種溶射法等の実験研究に着手する(代表者立石亨三) |
1935年 昭和10年 11.8 溶射の実験研究に成功をおさめ、合資会社新興メタリコン工業所を設立、溶射加工の受注を開始する(代表者立石亨三) |
1942年 昭和17年 第2次世界大戦時、本社工場・三菱重工業京都・名古屋において、航空機部品の熱処理用ケースに熱酸化防止の目的でアルミニウム溶射を量産する |
1944年 昭和19年 11. 当時の商工大臣よりアルミニウム溶射による熱酸化防止の功績を認められ感謝状を授与される |
1949年 昭和24年 5. 日立製作所笠戸工場(山口県下松市)に常駐作業所を開設(1975年閉鎖) |
1950年 昭和25年 4. 富士車輌本社工場(大阪府南河内郡)に常駐作業所を開設(滋賀県守山市に移転のため、1965年閉鎖) |
6. 三菱重工業三原製作所(広島県三原市)に常駐作業所を開設(1970年閉鎖) |
1952年 昭和27年 12. 新興メタリコン株式会社に改組、資本金100万円(代表者立石亨三) |
1955年 昭和30年 4. 米国MOGUL社よりガス式(ワイヤー)溶射装置、ガス式(粉末)溶射装置を導入 |
1956年 昭和31年 近畿車輛本社工場(東大阪市)に常駐作業所を開設 |
1957年 昭和32年 富士重工業宇都宮工場(栃木県宇都宮市)に常駐作業所を開設(1967年閉鎖) |
日本車輌(埼玉県蕨市)に常駐作業所を開設(1967年閉鎖) |
1959年 昭和34年 5. 資本金を400万に増資 |
10. 関東地区の需要増加に伴ない東京営業所を開設する取締役所長立石善通(1970年閉鎖) |
12. 全国自衛隊駐屯地のタンク車に移動式溶射装置をジープに搭載し、亜鉛溶射を施工する |
1960年 昭和35年 4. 橋梁、水門等の防食溶射の需要が増加したため、建設省指定業者登録を受ける |
1961年 昭和36年 3. 資本金を800万に増資 |
1962年 昭和37年 1. 米国METCO社よりガス式(ワイヤー)溶射装置METCO4Eを導入 |
1964年 昭和39年 5. 社長立石亨三渡欧、ベルギーのアーコス社とアーク式溶射法で技術提携 |
1966年 昭和41年 7. 米国METCO社よりガス式(ワイヤー)溶射装置METCO7Eを導入 |
1967年 昭和42年 2. 新興メタリコン株式会社から株式会社シンコーメタリコンに社名変更 |
7. 資本金を1,000万円に増資 |
1968年 昭和43年 12. 社長立石亨三、社団法人日本学士会より鉄金属酸化防止に関する溶射研究の功績によりアカデミア賞を受賞 |
1970年 昭和45年 12. 資本金を1,500万円に増資 |
1971年 昭和46年 3. 米国シカゴ市にて開催された国際防食会議に専務取締役立石善通出席 |
10. 米国MOGUL社よりセラミックス溶射装置ROKIDE GUNを導入 |
1974年 昭和49年 9. 円筒研削盤導入 |
1975年 昭和50年 3. 米国PLASMA DYNE社よりプラズマ溶射装置PLASMA DYNE・SG-100(80kw)を導入 |
1976年 昭和51年 8. 本社工場、防音設備等公害対策完工 |
1977年 昭和52年 2. 資本金を2,050万円に増資 |
1978年 昭和53年 10. 代表取締役社長立石亨三、取締役会長に就任し、専務取締役立石善通が代表取締役社長に就任 |
1981年 昭和56年 9. JIS表示(亜鉛溶射)許可工場となる |
1982年 昭和57年 11. 取締役会長立石亨三、勲五等瑞宝章受賞 |
1983年 昭和58年 11. 滋賀県甲賀郡に新本社工場が完成 |
12. 京都市の本社工場を閉鎖し、滋賀県甲賀郡の新本社工場へ移転 |
1985年 昭和60年 9. 米国TAFA社よりアーク式溶射装置TAFA 8830を導入 |
米国CABOT社よりHVOF溶射装置JET-KOTEⅡを導入 |
1988年 昭和63年 10. 塗装専用工場新設 |
1989年 平成元年 11. 高出力プラズマ溶射装置BROWNINGのPLAZ-JETⅡ(200kw)を導入 |
12. 溶射ロボットFANUC S-700導入 |
1990年 平成2年 6. 大隈鉄工所製大型円筒研磨機導入 |
11. 大隈鉄工所製大型NC旋盤導入 |
1991年 平成3年 5. 米国TAFA社よりアーク式溶射装置TAFA model9000を導入 |
1992年 平成4年 2. 米国METCO社よりプラズマ溶射装置METCO 9MB(80kw)を導入 |
1994年 平成6年 1. 自動溶射トラバース装置導入 |
2. コンベア-式自動ブラスト装置導入 |
4. 第二工場増設 |
8. 社員寮、平松寮完成 |
12. 代表取締役社長立石善通、代表取締役会長に就任し、常務取締役立石豊が代表取締役社長に就任 |
1995年 平成7年 5. 第14回国際溶射会議(神戸市)に代表取締役会長立石善通、代表取締役社長立石豊、取締役相談役立石孝男出席 |
7. 米国TAFA社よりHVOF溶射装置TAFA JP-5000を導入 |
資本金を2,500万円に増資 |
10. 京都都ホテルにて創立60周年記念式典を開催 |
1996年 平成8年 6. 滋賀本社工場において、日本工業規格(JIS)表示認定(加工技術)を取得する |
2000年 平成12年 4. 溶射JISとISO規格の整合が進み、JIS表示許可工場の認定制度が改正されたのに伴い、社内規格を変更 |
6. FUNUC社より溶射ロボットS-430iLを導入 |
7. SULZER-METCO社よりアーク溶射装置 Smart.Arc 350pp を導入 |
11. JISH8300 改正に伴う公示検査を受ける |
最終更新日:2010-08-30
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