オペレーターからの意外な提案に、
「ありがとうございます」
思わず明希子が言うと、小川と夏目も彼に向かって頭を下げた。
桑原が仕方なさそうに、
「じゃ、もう一度だけ。駄目ならその金型、持って帰ってもらいますよ」
「はい」
そこで、明希子はオペレーターに向かって訊いてみた。
「この射出成形機は油圧式のものですね」
「そうですが」
隣で夏目が、ハッと気がついたように、
「そ、それだ!」
大きな声を出した。
「慣性力(かんせいりょく)だ!!」
ほづみ合成はさすがプラ屋だし、穂積社長のこだわりからACサーボモータ駆動による新型の成形機を揃えていた。今度のトライアルも、それらを使って行ってきている。けれど、ここにあるのは量産のためではなく、あくまで検査用に置かれている油圧式動力による旧式の機械だ。
花丘製作所の金型は、精度を上げるため窓越しに光ファイバーで八〇パーセント流入した樹脂を検知し、さらに遅延タイマーにより遅れて入ってくる一〇パーセントを加え九〇として、サーボ制御する設定になっている。
「ところが、油圧式の成形機の場合、それがいささか緩いんですね」
夏目が説明した。
「慣性力が働いて、光ファイバーの指示で八〇で止めた後、どうしても遅延分がピタリ制御できなくて、一〇パーセント以上の材料がダラダラと流入してきてしまう。車は急に止まれないってやつですよ」
夏目がオペレーターのほうを向いて、
「設定が違っていたのはボクのほうです。油圧式成形機に合わせて遅延タイマーの設定を変えて、材料の流入を早めに閉める必要があったんです」
夏目がコントロールボックスにある遅延タイマーを調整すると、金型は規格通りのラジエターキャップを生み出しはじめた。それは、その後、何ショット繰り返しても変わらなかった。
「しかし、しち面倒臭い型だね」
桑原がうんざりしたように言った。
「それだけデリケートで、ハイレベルな金型を要求したのは三洋自動車さんです」
小川の言葉に、桑原が苦々しげな顔をした。
「すごい型ですよ、これは。本当に」
若い職人肌のオペレーターが魅入られたように言った。
「笹森産業さんの型が保圧のためにワンショットについて一分三十秒ほどかかっていたのが、半分以下の四十秒くらいしか要さない。しかも、ダブルスライドのコア抜きで、ネジ部分の内側を肉盗みしているから、製品内部に熱を持つこともない。したがって、水で冷やす必要もない。ワンショットにかける時間が短く、温調機の熱量も抑えているから、エネルギー経費の節減と環境にも配慮することになる。よいことづくめじゃないですか」
「よくぞおっしゃってくれました!」
夏目がオペレーターの手を握った。
「いや、すごいですよ!ほんとにすごい!!こんな型、見たこともない……」
オペレーターが興奮したように言ったあとで、しみじみと、
「できるんですね、こんなのが」
夏目の手を握り返した。
なにも言えずに夏目は口元を震わせている。眼が真っ赤だった。
――いいんだよ、ホームズ、こんな時には思いきり泣いたって。
「やりましたね、アッコさん」
晴れ晴れと小川が言う。こんな表情をしている彼を、明希子はこれまで見たことがなかった。ずっと苦労をさせてきたんだな、と思う。
「それにしても、アッコさん、“金型が噛む”とか“オシャカになる”とか、ずいぶんと現場の言葉が板についてきましたね」
「え?」
「さっきのやり取りですよ。でも、この調子で、今度は本格的に現場に出ることになったりして」
「それは、あるかもね」
明希子が微笑んで言うと、
「え!?」
小川がキョトンとしていた。
その時だった、
「花丘さん、ちょっとよろしいですか」
坂本に呼ばれた。