「誘ったりして悪かったかな?」
「ううん。いい気分転換」
小野寺と明希子は、新宿のインド料理のレストランにいた。
「新宿なんて久しぶり」
明希子は、さまざまな香辛料のにおいが染みついた店内をなんとなく見まわしながら言った。壁や棚に南アジアを連想させる調度品が飾られている。
「いつもどのへんに行くの? 銀座? 六本木?」
小野寺の言葉に、明希子は首を振った。
「最近は会社と自宅の往復ばかり」
彼がうなずいて、
「入江田先輩にも声をかけたんだけど、“おまえらふたりで行けばいいだろ”って言うもんだから」
店は込み合っていて、注文した料理はなかなかこなかった。
ふたりは生ビールを飲みつつ、ぽつりぽつり話をした。仕事の話題が主だった。
小野寺は多門技研の生産技術課で環境自動車エンジンの開発に携わっていた。
「これまでのガソリンエンジンとちがって、燃料電池で走るクルマは、構造自体が異なるんだ。たとえばね――」
エンジンについて語るとき、小野寺の眼の輝きはかわった。明希子はそれをうらやましい思いで見つめていた。
「ごめん、こっちのことばかり話しちゃって」
「ううん」
明希子は首を振った。そうして、
「なんだかこの半年は、時間が短く感じられた」
ぽつり言った。
すると小野寺が、
「時間の単位はかわらないよ。若いころは……」
そう言いかけたところで、
「まだ若いわ」
明希子は口をとがらせてみせた。
小野寺が笑って、
「じゃ、もっと若かったころは時間に無自覚でいられた。でも、持っている時間が無限でないことをすでに僕らは知っている」
明希子はうなずいてから言った。
「人生が苦いことも」
そう口にしたあとで、“人生”なんて仰々しい言葉をつかってるな、と思う。小野寺の口調がどこか若年寄じみていて、つられたのかもしれない。それに、近ごろ自分のまわりはオジサン度が高過ぎる。
「たしかに苦い」
小野寺がジョッキを取り上げて言った。
「ビールのように」
明希子はくすりと笑った。
彼がこちらを見て、
「そして、ビールのようにほろ苦くて、しかも、うまいのが人生だよ。そうじゃない?」
「そうね」
――人生はおいしい、か……。