いきなり、歴史の話をしようというわけではありません。
「 システム 」 ≠ 「 コンピュータ化 」 であることを、もう少し分かりやすくご説明するために、表題のような事例を採り上げてみました。
江戸時代ですから、当然コンピュータというものは存在していません。
ただし、システム ( 仕組み ) というものは存在していました。
江戸時代は、徳川家康の時代から数えて、15代の将軍が引継いで政権を握ってきたわけですが、これはシステムの定義のところで述べたように、『 誰がやっても継続的な成果 / 結果が導かれる仕組み 』 としてのシステムができていたからであると考えるべきだと思います。
15代ともなると、それはそれで優秀な将軍もいれば、そうでない人もいたと思うのですが、そのいずれもが安定政権を維持できたわけですから。
15代、260年の政権維持の中に、どのような システム ( 仕組み ) があったのか を見ていきながら、そのシステムの効力について検証していくことにしたいと思います。
【 武家諸法度より 】
[ 現代語要約 ]
「 武家諸法度 」 とは、江戸幕府が大名統制のために出した法令です。
文武両道の奨励、新規の築城の禁止と修理の制限、自由な結婚の禁止などを定め、違反した者はきびしく処罰したもので、1615年、第2代将軍 「 徳川秀忠 」 の名で出した13条の元和 ( げんな ) の 「 武家諸法度 」 に始まり、将軍の代変わりごとに出されました。
上記の 「 武家諸法度 」 は、第3代将軍家光が1635年に出した、19か条からなるもので、この時はじめて有名な 『 参勤交代 』 を義務づけました。
参勤交代とは、各地の大名に対して、毎年4月に1年交代の期間を定めて江戸勤務を命じた制度であり、幕府にとって 考え抜かれたよいシステムでした。
1年交代の江戸勤務によって、大名は将軍に忠誠を尽くすことを行動で示したわけですが、それ以上に徳川家にとっては大きな 目的 がありました。
すなわちそれは、各地の大名に参勤交代を強いることで、その従者も含めた旅費宿泊費、将軍への貢物その他、多大な費用負担を行わせていた わけです。
加賀の前田家の参勤交代では、1,000名もの大行列になったと歴史書には記載されています。
こうした費用負担は、大名の財源を圧迫する ものだったのです。
武家諸法度には、この参勤交代だけではなく、大名を従わせるためのいろいろな システム が盛り込まれています。
例えば、一国一城の取り決めや、関所開設の禁止、500石積以上の造船の禁止など、すべて地方の大名の武力・支配力を高めない 仕組み でした。
中でも、 「 参勤交代 」 については、その仕組みが規制のレベルではなく、 「 大名の勢いを抑制 せざるをえなくする 」システム として完成されています。
この 「 ~せざるをえなくする仕組み 」、「 必ず~してしまわざるをえないシステム 」 を考えていくことが、本システム構築研修での中盤のテーマとなってきます。
その意味で、 「 参勤交代 」 の制度は、継続的に成果 / 結果を導き出す有効なシステムであると考えられます。
そして最後に重要なことは、 この有益なシステムは、全くコンピュータを必要としていないということです。
継続的な成果 / 結果を導き出す 「 システム 」 を構築することと、コンピュータ化はイコールではないえ こと、お分かりいただけましたでしょうか。
チェックポイント!
効果的な 「 システム 」 とは?
武家諸法度の例を見るように、例えば 「 参勤交代 」 は 幕府安定化のために優れたシステム であると考えられる。
このように、何らかの仕組みを導入することで 「 ~せざるをえない 」 仕組み として成り立たせられるならば、それは 効果的な 「 システム 」と考えてもよい。