当社は明治30年に創業した日本で3番目に古いゴム会社です。
日本のゴムの歴史とともに歩んできた草分け的な存在です。
戦前はゴムマリを中心に、戦後は軟式野球ボールなどを手掛け、広く社会に貢献してきました。
現在では様々な産業分野からの新しいニーズに、押出成型技術を中心に部品提供を幅広く行っております。
永年のキャリアと信頼を基礎に、新しい時代へ常に研究開発を怠らず、変革にチャレンジして行く企業でありたいと考えております。
設計から試作・量産までを小ロット・短納期で対応してゆく姿勢を貫く所存ですので是非一度ご活用いただければ幸いです。
最終更新日:2013-02-05
単なる量的な拡大のみを追及するのではなく、社員の成長と家族の幸福を目指して当社が継続的な成長・発展することを理念としています。このために社会に必要とされる価値を創造してゆきたいと考えております。
最終更新日:2013-02-05
環境にやさしいものづくりを心がけ、品質によってお客様の信頼を得て、社会に貢献できる企業を目指す。
最終更新日:2013-03-12
産業廃棄物の削減を積極的に行い、地球、地域を汚染しない企業を目指す。
最終更新日:2010-08-03
創業以来100年かけて培った技術と信頼がある。 |
1897年 6月 創業者右川慶治により、東京府葛飾郡隅田村にバルブ、ゴムマリ製造会社として創業。 |
医者の使うスポイトにヒントを得てゴムマリの製造を始めた |
1907年10月 右川式ゴムマリ製造器を発明。東京都勧業博物会出品のゴムマリに銅牌受賞 |
1909年 右川式ゴム抜型発明。漸次エボナイト、足袋底、鉄道用部品、自転車用タイヤなどに業務拡張 |
1912年 中国、インド、オーストラリア、南洋諸島、米国などへ輸出開始。 |
第三回大正博物会でゴムマリに銅牌受賞 |
1914年11月 南葛飾郡物産共進会にて東京府知事より医療用ゴム製品に二等賞受賞 |
1916年 火災により焼失。しかし同年押出機によるゴム貼り合わせ方式を考案 |
1922年 平和記念博に出品したゴムマリに銀牌受賞 |
1923年 中国上海市に慶徳橡皮工廠を設立 |
経営者 右川鼎造 |
1929年 右川鼎造ゴム協会懇話会に出席 |
1930年 右川鼎造ゴム協会輸出ゴム製品の改善に関する委員 |
1932年 右川洪輔業務を継承(二代目) |
1945年 東京大空襲で全焼 |
1952年 (有)右川ゴム製造所を設立 資本金70万円 |
1967年 (株)右川ゴム製造所とし、自動車部品、工業用部品、工業用ゴム製品を製造 |
ゴムマリ、スーパーボール、バッティングセンター向け軟式野球ボール、 |
ぼんぼんマッサージャー用ボールなどボール専業メーカーとして伸展 |
1971年 右川清夫業務を継承 |
1974年 埼玉県八潮市へ移転 |
1986年 マイクロ波ゴム連続押出加硫システム導入 |
1991年 マイクロ波ゴム連続押出加硫システム2号機導入 |
1992年10月 彩の国工場指定 |
埼玉県の地域に愛される70工場の中のひとつに選ばれた |
1996年 3月 130ミリ口径押出機導入 |
建築用ゴム部材、ゴム緩衝材、ケーブルプロテクター関連部門の生産開始 |
1997年 1月 二層押出装置を導入 |
2000年 品質マネジメントシステムISO9002取得 |
2001年 65ミリ樹脂押出ライン導入 |
2003年 ISO9001へ移行 |
最終更新日:2010-07-29
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